ニアスにも「防災歌」 高藤さんの取り組み広がる 「日常生活に教訓を」 「100年に1度でも」 東日本大震災後に注目
立教大学アジア地域研究所の高藤洋子研究員が研究を続けてきたアチェ州シムル島にある口承文芸を使った防災文化が、形を変えて同島から南西に約200キロの北スマトラ州ニアス島でも根付き始めている。20万人以上が死亡、行方不明となった2004年のスマトラ沖地震・津波の際、犠牲者を7人にとどめたシムル島での研究は、津波によって甚大な被害がもたらされた昨年の東日本大震災以後、日本でも注目を集めるようになった。震災前は「100年に一度起こるか起こらないか分からないことを研究して何になるのかと言われた」という高藤さん。大規模な震災が発生する間隔は長く、また被災者は被害を思い出したくないという意識も働くことから、教訓は後世に伝わりにくい。だからこそ、「防災の意識を日常の生活の中に取り込む」ことが重要と、研究を通じて高藤さんはひしひしと感じている。
シムル島では1907年に発生した津波で多くの人が亡くなった経験が、「ナンドン」と呼ばれる島特有の四行詩に取り込まれていた。大きな地震が起きたらすぐに高台に逃げることが歌われており、この歌詞を記憶していた島の住民たちは、2004年の津波の際、すぐに高台に避難し、難を逃れた。
一方、ニアス島も1907年の津波で大きな被害が出ていたが、津波のことを忘れようと話題にしないようになり、防災意識が根付いてなかったという。
2006年にニアス島で震災復興ボランティアに携わっていた際にシムル島の事例を知り、研究を始めた高藤さんは、シムル島や日本の「津波てんでんこ」などの事例をニアス島北部のモアウォ地区などで紹介。住民とともに防災手法について考える中で出てきたのが、島で親しまれ続けている伝統舞踊「マエナ」だった。
シンプルな踊りと繰り返しのリズム。多くの人が一斉に踊り、一体感が生まれる。このマエナに小学校の音楽の教師らが中心となって「海の水が引いたなら それは津波の前兆です」「より高い所に逃げましょう」(いずれも高藤さんによるニアス語の歌詞を日本語訳)といった歌詞を組み込んだ。高藤さんは防災教育も「楽しくなければ長続きしない」と考えているが、先月、小学校を訪れると数十人の児童が歌詞を口ずさみながら踊っていたほか、近くの警備員も笑顔でリズムを取っていた。
東日本大震災でも、岩手県釜石市釜石東中学校で、「自分一人でも逃げろ」という意味の「津波てんでんこ」の防災伝承を基に、生徒が自らの判断で高台へ逃げ、校舎が津波に襲われたにもかかわらず、出席していた生徒全員が助かった。「防災はハードだけでなくソフトが大切」と高藤さん。今後もインドネシアや日本の各地に伝わる防災伝承の研究を続けながら、地域に根ざした防災教育の確立へ向けた取り組みを続けていく。
◇ニアス島モアウォ地区の小学校で作られたマエナの歌詞(一部抜粋)
地震が起きた時には
安全で快適なところを探しましょう
郷土の唄・マエナを歌ってみましょう
こうして皆が出逢い 集った時に
* 家にいる時も学校にいる時も すぐに避難しましょう
* 海岸近くにいる人はみんな注意しましょう
海の水が引いたなら それは津波の前兆です
* より高い所に逃げましょう。
津波が来ない安全な場所を目指して逃げましょう
* 郷土のマエナ、今回はここまでにしましょう
また次の機会に続けましょう
※小学校教師がニアス語からインドネシア語に、高藤さんがインドネシア語から翻訳