もう1つのレバラン
来月にはイドゥル・アドハ(犠牲祭)がやってくる。犠牲祭は家畜をと殺し、肉を皆に配る。この時、「貧しい人も肉を楽しめるように配る」というのは犠牲祭の目的の1つだ。
そのため、今月から家畜を売る人や販売への準備をしている人がちらほらと増え、私の家の周辺にも犠牲祭実行チームができたという知らせが貼ってあった=写真。
インドネシアでの家畜は、牛やヤギ、羊が一般的。従って、犠牲祭に使われる家畜もこれらが一般的となる。アラブまたはイスラム教の教えでは、ラクダなども捧げられる。
犠牲祭はよく「レバラン」と呼ばれている。しかし、「ハッジ(大巡礼)」を後ろにつけ、「レバラン・ハッジ」と言われる。由来はハッジと犠牲祭が同時期に行われているからだ。
「レバラン」の言葉自体は「断食月明け大祭」だが、レバラン・ハッジの「レバラン」は「大祭」だけの意味になる。
犠牲祭はレバランと同じく、朝に特別な礼拝がある。違うのは、礼拝後に家畜のと殺があって、その後3日間続く。
これにより、ほかの国ではレバランより犠牲祭のほうが盛り上がるらしい。このことを私は最近ユーチューブで知った。
どうしてインドネシアはレバランのほうが盛り上がるのだろう。ムディック(帰省)する人が多いからか? しかし、マドゥラ人は犠牲祭に帰省するというし……。
ほかの理由では「約1カ月間の断食からの〝解放感〟が大きいから」が考えられるだろうか。
(アウリア・アナンダ)