「我が祖国」に恩返し 歯科医の中村典史さん 貧困層に医療の手を

 インドネシアを「タナ・アイルク(我が祖国)」と言い切る歯科医の中村典史さん(65)がジャカルタに戻ってきた。この国の医療従事者に暖かく迎えられ、笑顔と期待に囲まれて過ごしたのは1995年からの2年間。その縁は帰国後も続き、退職を機にインドネシア医療の底上げに力を尽くし、恩返しをしようと一念発起した。                

 専門は口腔外科。先天性の形態異常で俗に「みつくち」と言われる口唇裂・口蓋裂の手術では国際的権威だ。小児産科病院に勤務した1990年代当時、実感したのは医療保険制度の遅れ。当時は「BPJS(国民皆保険制度)」すらなく、30年近く経ったが今も低所得者層には医療の手は届かない。
 「しかし、現場の医療従事者には改善したいという熱い思いがある。しかもその彼らが私たち家族4人を暖かく迎え、支えてくれた」
 JJS(ジャカルタ日本人学校)に通った娘2人は、帰国後の今もアンクルン演奏をするなどこの国と縁が切れない。インドネシアに寄り添う中村さんの思いは家族とも共有したよう。その体験は自費出版した「タナ・アイルク インドネシア 〜波瀾万丈インドネシア滞在記〜」にまとめた。
 中村さん自身の医療支援は帰国後も続いた。インドネシア側の要請を受けて東ヌサトゥンガラ州や西ティモール、また南スラウェシ州などに派遣され、口唇裂・口蓋裂に苦しむ人々を助けてきた。
 「一定の貢献はしたはずだが、氷山の一角を削るようなもの。抜本解決にはなっていない」
 富裕層は外国医療という選択肢があるが、貧困層はそうはいかない。根底にあるのは不十分な保健医療制度だが、これは内政問題。では、歯科医として何ができるか。「若い医師たちの手術の医療技術を向上させたい。1人でも多くの優秀な歯科医を育て、地域格差を縮めたい」。エチオピアやベトナムなど開発途上国の医療にも携わったが、その思いを「大好きなインドネシアでやってみよう」と腹を決めた。
 着任は今年5月。現在の立場は国立インドネシア大学の講師。教育者として手術に立ち会い、後進を育てる毎日が続いている。
 その一方、私生活では9月に「ラグラグ会」の事務局長を引き受けた。
 「歌が上手い訳ではない……」と苦笑する中村さんは、「文化を通じた交流の場は公私を問わずありがたい存在」という。邦人社会、そしてインドネシアを結ぶコミュニティーとして家族共々、そのつながりに助けられてきた。一時に比べて会員は減ったが、歌を通じたソフトパワーを盛り立てようと呼びかけている。   (長谷川周人、写真も)

◇57年福岡県生まれ。82年九州大学歯学部卒。95年西ジャカルタ・ハラパンキタ小児産科病院勤務。鹿児島大学教授、同大学病院副病院長などを経て今年4月に同大を退職し現職に。

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