【モナスにそよぐ風(59)】 バンドンAA会議の今昔

 前回取り上げたアル・ジャバル・モスク(AJM)がバンドンの新名所なら、旧名所はアジア・アフリカ(AA)博物館をおいてあるまい。
 1955年4月、バンドン会議の名で知られるAA会議はここで開かれ、スカルノ初代大統領の呼びかけにインドのネルー首相、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領など29カ国の指導者たちが参集した。
 西側(欧米等)にも東側(中ソ)にも属さない第3世界を強くアピールし、「平和10原則」を採択。米ソが激しく対立する東西冷戦下だけに、国際社会の希望と期待を一部とはいえ集めたのは確かだった。
 初めて訪れた1990年代後半、建物も展示物も古色蒼然とし失望させられた博物館は、デジタルを導入し展示も設備も一新され嬉しい想定外。30年余りの国力の伸長がここにも及んでいることを実感した。
 博物館から目と鼻の先にある指導者たちが滞在したホテル・サボイ・ホーマンも健在。開業はオランダ時代の19世紀と古く、アールデコ風建物はリノベーションされてきたものの、年期の入った内部は博物館にも負けぬ歴史を感じさせた。
AA会議の跡を探して館内を散策していたらボーイが手招きするので後をついて行くと、大きな写真が飾られた廊下の前に出た。
 「ほら、お宅の指導者はここ」と彼が指した写真の人物は胡錦涛前中国国家主席だった。隣にはユドヨノ前インドネシア大統領、その隣にはマンモハン・シン前インド首相……と指導者たちが並び歩くシーンだ。
 2005年4月22~24日、当ホテルは名誉あるAA会議50周年をホストしましたと説明にあった。
 「この人は中国人、私は日本人」と言っても動じる気配もなく彼は立ち去り、ひとり探した小泉純一郎元首相はチラリとも見えず、日本の存在感の薄さを再認識した。やれやれ。
 68年前、AA会議に招待された日本は対米関係を考え悩みつつ出席した。だから首席代表も首相や外相ではなく一介の、と言えば失礼だが高碕達之助経済審議庁長官。同じ招待組でも外交に長けた周首相を送り込んだ中国とは対照的で、演説も目立たなかった。
 もっともそれもまた織り込み済みだったかもしれない。日本は自由主義陣営の一員であって、第3世界ではないとの秘かな自負。
 そして今、第3世界は死語と化し、代ってインドネシアもインドもグローバルサウス(GS)の雄として台頭中だ。GSもやはりAA諸国中心だから、AA博物館もひょっとして旧名所を返上し、GS揺籃の地として新名所に様変わりするかもしれない。
 ただし第3世界とGSは似て非なるものだ。何より両者は世界経済に占める経済の重みが違う。前者は意気軒高だが経済は立ち行かずに貧しく、一方後者は世界経済に然るべき場を占め、発言力も増しつつある。
 AA会議では立ち位置に苦慮した日本は、先の広島での主要国首脳会議(G7サミット)で、議長国としてGS重視と協調を実践した。しかし十分ではない。欧米に先んじて、もっと前へ踏み込んでゆく日本を見たい。(産経新聞元論説委員長 千野境子)

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