終わり見えぬ米国のインフレ
この1週間の市場の動きは本当に目まぐるしかった。まず7日、米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長が米議会証言で、インフレ圧力が従来想定を上回っていることを理由に、今後の利上げ幅の引き上げの可能性に言及、これが米ドル金利の急上昇を招く。次いで、米西海岸で主に新興企業向けに銀行業務を営むシリコンバレー・バンク(SVB)が、保有債券で大幅損失計上(金利上昇は債券価格の下落を意味する)とのニュースが伝わり、同銀行顧客の預金引き出しが殺到、11日に経営破綻を申請するに至った。SVB自体は資産規模30兆円、全米16位の中堅銀行だが、株式市場は銀行株中心に全面安となり、市場センチメントは大幅に悪化した。インフレ収束を織り込みつつあった市場参加者からすると冷や水を浴びせられた格好だ。
米国でインフレ圧力がなかなか治らない一番の要因はやはり雇用が強いことであろう。失業率は3・6%と低水準にある一方、求人件数は引き続き高水準であるため、失業者一人に対する求人件数は、コロナ前に1・2程度だったものが、足元では1・9と高水準が続いている。
マクロ経済学の基本的な概念の一つに、物価と雇用のトレードオフの関係性を示した「フィリップス曲線」がある。物価上昇率が高まると失業率は低下し、失業率が高まると物価上昇率は低下する、つまり「インフレを抑制しようとすれば失業率は高くなる」ことを示す。これに基づくと、今の状況はまだ失業率が低く、従ってインフレ抑制ができていないということになる。もっともこのフィリップス曲線、1950年代に英国の経済学者ビル・フィリップスにより考案されたもので、その後70年代のスタグフレーション(物価高と失業率が同時に進行)など、必ずしもその曲線が常に安定的である訳ではないことも観察されている。ただ、賃金上昇が抑えられて(従って失業率も高まり)ようやく物価の安定につながるという経路は、サプライサイド制約によるインフレの色彩が強い今の状況下では説明がつきやすい。
もう一つこの局面で認識しておきたいのは、インフレと金融引き締めが収束していく過程は、必ずしも線形かつスムーズに進んでいくのではないかもしれないということだ。2度のオイルショックに端を発する70~80年代初頭のインフレの後期には、いったんインフレ率が減速したところでFRBが利上げを停止したが、その後のインフレ圧力上昇で半年後にはまた利上げを再開した。
アジア諸国にとって気掛かりなのは、まずは自国為替への影響、そしてグローバル経済のリセッション・リスクだ。為替については、この1週間の市場の動きで、米ドル金利の上昇を受けたドル全面高が進み、円もルピアも一気に低下した(円の方は足元で米国経済のリスク回避志向の高まりから、安全資産として買い戻しが入っている)。インドネシア中銀は2月の政策金利引き上げを見送っており、しばらくは為替介入を使ってルピアを買い支えながら、可能な限り今の水準で様子を見たいところだが、米国の状況次第では利上げ再開の可能性も否定し得ないだろう。
企業の財務担当者にとってはいつにも増して必要な備えをしておくタイミングかもしれない。(三菱UFJ銀行ジャカルタ支店長 中島和重)