金融政策の逆回転
エコノミストが経済危機のリスクについて語るとき、「今回はいままでとは違う」と言うのはある種の常套句だ。すなわち、今はこれまでとは状況が違うのだから、皆が予想していなかったような危機が起こるのだと。
確かに政策的な学習効果を考えれば、過去に起こった危機と同じリスクシナリオの発生確率は低くなるだろう。また最近の数年間で起こった予測不可能な一連のイベント(トランプ政権と米中対立、ブリイグジット、コロナ、ウクライナ侵攻)を思い返せば、「いままでとは違う」と言われるとつい納得してしまうのも無理はない。しかし世界的な経済危機という意味では、リーマンショック以降、数多のエコノミストにより様々なリスクシナリオが語られながらも、危機は起こらなかった。いや危機はうまく回避されてきたと言うべきかもしれない。
直近のケースはコロナ・ショックだろう。感染第一波が欧米各国に拡大しはじめた2020年3月、大幅な消費の減退により経済全体に信用不安と流動性危機が到来するのではと、多くの人が身構えた。確かにいくつかの業種で需要がほぼゼロになるというような世界は、これまで誰も経験したことがない。
しかし、このような状況下で各国中銀・当局の動きは極めて早かった。米連邦準備理事会(FRB)は市中証券の大量購入による量的緩和を進め、欧州中銀(ECB)も日銀も素早くこれに追随した(結果、米欧日の中銀バランスシート合計はコロナ前と後とで1・7倍にまで増加)。財政も大動員されて各国政府の支出は歴史的拡大を見た(日米の財政支出規模もコロナ前後で約1・7~1・8倍増)。そしてこれらの動きに反応して市場もすぐに落ち着きを取り戻した。
もちろん2020年はインドネシアを含め多くの国でマイナス成長となったし、中国を始めいくつかの国ではまだ影響は残るが、結局は経済危機というまでの状況には至らなかった。
ひとつ留意すべきは、リーマンショック以降の危機回避は基本的にこれと同じパターン、つまり中銀による量的緩和(及び政策金利引き下げ)と財政出動の組み合わせにより達成されてきた、ということである。そして市場も徐々にこれらの政策を当然のこととして期待するようになった。10数年に及ぶ米国株の上昇トレンドはその証左とも言えよう。しかしその結果として、前述の米欧日の中銀バランスシート規模は、リーマンショック前の水準までさかのぼって比較すると、コロナによる経済危機を回避した21年半ばまでの間に実に約6倍の規模にまで膨れ上がっていたのだ。
いま世界的なインフレ率の上昇により主要通貨の政策金利引き上げが見込まれる中で、世界経済のハード・ランディング(インフレを鎮静化しようとして経済を急速に冷やす)のリスクに市場の注目が集まっている。利上げは確実に政府・企業の金利コストを増加させるので、それだけでもインパクトは大きいが、より重要なのは今回の利上げがこれまでの量的緩和の終了とその逆回転である量的引締を伴うということだ。つまり足元のインフレ高進を受け、今まで景気対策や危機回避で行ってきたことと全くの逆のことをする必要に迫られた、ということになる。この逆回転は潤沢な流動性と低金利に慣れきった身体には堪えるだろう。仮にインフレが抑制できても、資産価格の大幅調整と投資マインドの冷え込みは避けられないとの見方も強くなっている。
それを考えると今回こそは、「いままでとは違う」状況に差し掛かっていると言えるかもしれない。インドネシア経済も足元では資源価格の上昇から恩恵を受ける循環が続いているが、世界経済の変調とは無縁ではない。もちろん、来年の今頃に、結局今回も経済危機リスクは杞憂に終わった、と言えることを願うばかりだが。(三菱UFJ銀行ジャカルタ支店長 中島和重)