「震災の痛み共有できる」 アチェと協力を模索 気仙沼パレードの鈴木さん
東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市でインドネシアを紹介するパレードを復活させるため、二十―二十九日までインドネシアを訪れていた鈴木敦雄さん(五二)は二十六―二十八日、二〇〇四年のスマトラ沖地震・津波で壊滅的な被害を受けたアチェ州バンダアチェ市を訪れた。
インドネシア訪問中、鈴木さんはバリで、津波で使えなくなったパレード用の衣装や道具の購入へ向けて調査。ジャカルタでは、在任中にパレードを全面的に支援したユスフ・アンワル前駐日インドネシア大使宅や在インドネシア日本大使館を訪れ、パレードの再開と、その後のインドネシアと気仙沼の協力の可能性について意見を交わした。
バンダアチェ市役所ではサイフディン市長代理と会談。同市からアチェの伝統衣装を譲り受けることになった。
現地の学校も訪れ、鈴木さんが震災翌日に撮った気仙沼市街地の写真を子どもたちに見せると「写真を見る真剣さが違った」。ジャカルタやバリでも被害を心配する声を多く聞いたが、「アチェは同じ痛みを受けたのを分かっているから、痛みを共有することができる」。
学校では日本語学習熱を感じた。気仙沼では震災前、多くのインドネシア人女性が水産加工場で働き、市民から温かく受け入れられていた。日本語習得に意欲を示しているアチェの若者が、震災復興後の人材不足に悩む気仙沼の水産加工場で働くシステムはできないかと、鈴木さんは思案している。
インドネシア訪問最終日の二十九日には、西ジャワ州ブカシ県チカランで行われた「桜祭り」を訪問。主催のインドネシア日本同好会(KAJI)や桜祭りの運営に携わり、東北地方にゆかりのある人々の集い「みちのく会」に所属する佐々木哲也さんらと交流した。
鈴木さんらは震災の影響で昨年は実施できなかったパレードを今年八月に再開するために奔走しているが、津波で流されてしまった衣装などが不足しており、在住邦人らの協力を募っている。問い合わせは気仙沼商工会議所青年部(メール kicit006@k-macs.ne.jp)まで。