気仙沼のパレード再開へ 仕掛け人の鈴木さん奔走 津波で消失の道具調達で来イ

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市で、約十年前から「バリ・パレード」を行ってきた鈴木敦雄さん(五二)が、妻の貴子さん(四〇)とともにパレードの道具類調達のため二十日からバリを訪れている。二十五日には一昨年まで駐日インドネシア大使を務めていたユスフ・アンワル氏宅(南ジャカルタ)を訪問した。遠洋マグロ漁船で多くのインドネシア人船員が働く気仙沼には、ユドヨノ大統領が震災後の昨年六月に慰問に訪れ、インドネシアによる震災復興支援の象徴的な場所になった。震災をきっかけに一層、輪が広がった気仙沼とインドネシアの友好関係をさらに発展させていこうと、鈴木さんらは今年夏のパレード復活へ向けて奔走している。

 バリの衣装を着た気仙沼市民が巨大なオゴオゴ(張りぼて人形)やバロン(獅子舞)とともにガムラン(鍵盤打楽器)の音色に合わせて華やかに練り歩くバリ・パレードは、約二十年前から訪れていたバリの「混沌としたエネルギー」に魅了された鈴木さんが二〇〇二年に実施を提案し、毎年夏の「気仙沼みなとまつり」で気仙沼商工会議所青年部の出し物として定着した。
 年々規模が拡大し、「インドネシアの人に知ってもらいたい」と〇七年、アンワル大使を直撃訪問した。怪訝(けげん)そうな顔で迎えた大使は熱意に押されたのか、「では行ってみようじゃないか」と翻意。〇八年の日イ国交樹立五十周年を控え、五十周年記念プレイベントに認定され、大使館がある東京とは異なる東北の魚の町の雰囲気を気に入った様子の大使は以後、毎年パレード見物のため気仙沼を訪れるようになった。
 鈴木さんらが十年かけて集めてきた衣装・道具を保管していた倉庫は津波が直撃し、ほとんどが使い物にならなくなった。昨年は祭りもパレードも中止。鈴木さんが営んでいたオーディオ店も津波に襲われ、営業再開の目処は立たない。
 だが、ユドヨノ大統領が鈴木さんが住む仮設のプレハブ住宅を直接訪れて激励し、在日インドネシア大使館は六メートルのバロンを寄贈するなど、インドネシア側が再開を後押し。協力の広がりを受けて商工会議所は「インドネシア・パレード」に改名して、八月十二日にパレードを行うことを決定した。
 二十五日にはアンワル氏のほか、在インドネシア日本大使館で谷昌紀・広報文化センター長、川合貴之三等書記官と懇談。パレードのほか、帰国したインドネシア人看護師・介護福祉士が人手不足に悩む気仙沼の水産加工場で働く可能性、福島県いわき市の水族館アクアマリンふくしまがインドネシア科学院(LIPI)と協力して研究を進めているシーラカンスを両国の友好の象徴にするアイデアなどについて意見を交わした。
 アンワル氏は「気仙沼は小さな町だが、日イの友好への熱意は大きい。美しい町並みが戻ることを信じている」と強調。鈴木さんはインドネシアで旧知の人と会い、気仙沼の被害を説明するたびに「アチェでもそうだった」と共感してくれると振り返り、「衰退傾向の日本にとってこういう友好関係こそ大切なんじゃないか」と語った。
 鈴木さんは二十六日から、「パレードに衣装の提供などで協力したい」との申し出があったというアチェ州バンダアチェ市を訪れる。
 パレードの再開へ向けて、鈴木さんはバリなどで道具類の調達を進めているが、特に百人規模のパレード参加者の衣装が不足しており、クバヤ、サルンなどインドネシア各地の伝統衣装の提供者を募っている。問い合わせは気仙沼商工会議所青年部(メールkicit006@k-macs.ne.jp)まで。

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