【火焔樹】 優しさの象徴
小さな島の領有権で揺れている。国と国との大海の間に揺れ動き、どちらつかずの位置に浮いている小さな島をめぐって、「戦争(perang)」だと叫ぶ人たちの気が知れない。
どちらつかずの島の立場は、いわゆる「ハーフ(bresteran)」として生まれた子に似ている。普通は、お父さんの国籍を子は受け継ぐが、お父さんとは関係ない国で生まれ育ち、それでもお父さんが「外人(orang asing)」だからあなたは日本人ではないと言われた時の子どもはとてもつらいものがある。
大切なのは本人がどう感じているかであり、この場合、その島に密接に関わる人たちの気持ちであろう。島に住民がいなくただの岩だというなら、岩の取り合いで戦争が起こるなんて何と滑稽(こっけい)な話で、21世紀の世の中に何を根拠に英知あふれる人として生きているのだろうか。
そもそも政治家が絡むとろくなことはない。今をときめくKポップ、Jポップ、韓流スター、中国の有名人たちが島に上陸し、手を取り合い世界に向けてここは平和の象徴だと叫べば、そんな気運が高まり、政治家なんて太刀打ちできないほどのパワーが生まれるはずだ。
この島に関わる三つの国が体験してきた歴史的な悲劇を考えれば、悲劇の中で無数に生まれたどちらつかずの子どもたちの象徴として島を生かしていくことを考え付かないのは、いつまで経っても変わらぬ人の傲慢さ以外の何物でもない。徹底的にグレーのままにすればいいのである。
それは、本来ならば韓国人、朝鮮人、中国人、日本人として生きていたであろうはずのどちらつかずともいえないグレーな気持ちを生涯抱えたまま生きることを余儀なくされた人々への償いの場とすればいいのだ。国益は利害のある人たちの間で「こそこそと(diam-diam)」やればいい。そもそも自分のことしか考えぬ人たちにとってそれは得意技であろう。
インドネシアは無数の島と人種で成り立っている。問題も頻発するが、それでも交わって生きていくことを選択し、試行錯誤を繰り返しながらも優しさの象徴である「インド(多種多様な)ネシア(島々)」を大切にする様を見習うべきだ。(会社役員・芦田洸)