【火焔樹】 人と言葉が行き交う時
駿河地方の駿河という地名の由来は、その昔、インドネシアから船に乗り、未知の世界を求めて大海原へと旅に出た若者たちが、嵐を乗り越え命からがらたどり着いた場所で「ここはスルガ(surga)か」と呟いたことだという説がある。
スルガとは天国という意味だ。沖縄に行けば、「チャンプル」(campur)や「マタハリ」(matahari)などの方言がインドネシア語と同じだ。南北の交差点で人々が「入り交り」、灼熱の「太陽」の下で交わされた言葉が根付いていったのだろう。
ある日本の介護施設では、笑顔のインドネシアの介護士さんが親指を突き出して、「バグース」という姿を真似るのがお年寄りの間で流行っているらしい。とても和やかな光景が目に浮び、私もこの話を聞いた時には、つい親指を突き出した。いつか「バグース」が日本のお年寄りの良好な健康状態を表す言葉となればすばらしい。
時の流れの中で異国の言葉が土地の言葉として根付いていく過程や背景にある人との関わりが興味深い。
先日は、日本から帰ってきた看護師の女性と会って話す機会があった。
三年間日本にいただけあって、とても流暢な日本語だったが、今時の日本の若い子の話し方の特徴である語尾を上げながら、「私の彼氏はチョーイケメン」と言ったときには、思わず笑ってしまった。
日本人の若い子の専売特許のような話し方を、インドネシアの女の子の口から聞くとは思わなかった。でもこれが、国境を越えて今の時を行き来し、人と関わりながら、多くの若者たちが活躍している証なのだと思えば、納得ぜざるを得ない。そのうち、インドネシアでもこんな調子で、若者たちが話す日が来るかもしれない。
先々週のコラムで、「ジャカルタの街をそうじしませんか」という呼び掛けに、多くの人から心あるお便りを頂いた。もしこの活動が軌道に乗り、インドネシアの人と関わるようになったら、どんな言葉が飛び交い、根付いていくか楽しみだ。「そうじ」「きれい」「ポイ捨てダメ」「ごみはごみ箱へ」「がんばろう」。(会社役員・芦田洸)