料理だけでなく医療にも ナツメグ・メースと丁子
香料としてのナツメグは、種子を2カ月ほど日干しして作られ、粉状にするか、圧縮して油を取る。メースも同様に日干しされる。古くからナツメグ・メースは、料理の味付けに使われた。ナツメグはまた病気の治療薬としても重宝される。脳を活性化したり、血の循環を良くし、集中力を高める効果がある。風邪薬としても使われ、肝臓の解毒作用を助け、腎石の除去、筋肉痛にも役立つ。
古代~中世には、頭痛、胃痛に効くとされ、媚薬(びやく)にもなった。こうして並べれば万能薬となるが果たしてその効果はいかほどのものか。副作用もあるので使い過ぎには注意を要する。ナツメグはヨーロッパ人に重宝されただけでなく、バンダでも昔から神経の疲れ、熱病、腸・胸・肺の疾患や外傷の治療に用い、その油は美容にも良いとされていた。
ちなみに丁子(学名「Syzygium Aromaticum」、英語で「Clove」、インドネシア語で「Cengkeh」)は、高さ10メートルほどの中高木の常緑樹に実り、香料としては肉料理によく使われる。芳香健胃剤、(特に食肉の)殺菌・防腐作用の効能があるとされている。
■ヨーロッパ人到来前
最初のヨーロッパからの来訪者であるポルトガル人が香料を求めてマルク諸島にやって来る前から、この地域原産の香料であるナツメグと丁子は、島の重要な産物であった。ここでポルトガル人来訪前の状況について簡単にまとめてみた。
アジアの産品がシルクロードを通ってキャラバン隊商によって西に運ばれていた古代から中世にかけて、インド洋と南シナ海は地政学的にも、人の交流でも、商取引の面でも分断されていた。その後遠洋航海術が進歩するに伴い、マレー半島とインドネシアの島々はその二つの海洋をつなぐ重要な役割を担うようになってきた。東西の産品が行き交うだけでなく、各地からの商人が出会う場所になったのだ。
インド洋からのモンスーンの風(11~5月は北東季節風、6~10月は南西季節風)と、赤道に向かって吹く偏東風の貿易風(北半球では北東の風、南半球では南東の風)が常に吹いており、商人たちは風待ちのため、時にここに留まることを余儀なくされた。とりわけ、マレー半島南西部のマラッカ、インドネシアの北スマトラのアチェが重要な拠点へと発展していった。
中国のある文献によると、13世紀ごろにスマトラ島のマレー系海上交易国家であるスリウィジャヤ王国(7世紀半ば~1377年)が輸出していたと考えられるものは、ウミガメ、樟脳、木材、香料(特にカルダモン)、真珠、香木、象牙、サンゴなどである。一方この地域に持ち込まれた物品としては、金、銀、陶器、絹、砂糖、鉄、武器、米がある。
イスラム教は13世紀末ごろには既にスマトラ島北部で受け入れられていた。そこからイスラム商人により東に伝わっていった。ヒンドゥー王国でありジャワ中東部を中心に栄えたマジャパヒト王国(1293~1478年)は15世紀以降にイスラム化が進んだ。その後マルク諸島でもやはりイスラム商人の影響により、イスラム化が進んでいった。
その中では、日本に初めてキリスト教を伝えたことで知られるフランシスコ・ザビエルが布教活動を行ったマルク州のアンボン島は、現在イスラム、キリストの割合が半々であるが、バンダ諸島の住民は95%がイスラム教徒である。(「インドネシア香料諸島(続)バンダ諸島」=宮崎衛夫著=より)