ひなびた離島 ティドレを反時計回りに
テルナテ島からティドレ島に向かうフェリーで2人の青年と言葉を交わした。2人ともテルナテ大学で漁業を学んでいるという。土地柄、漁業は重要な産業であろう。シャイで朴とつな学生さんであった。 そう言えば、前日ガマラマ山の中腹の森の中にあるテルナテ大学で素朴なたたずまいのキャンパスを見たことを思い出した。
フェリーはティドレ島の北西のルンに到着。ここから1周約60キロの島を反時計回りで車で走ることにする。フェリーに乗ったのが午後1時過ぎ。帰りは午後4時のフェリーを予定しているので、運転手はかなりのスピードで先を急ぐ。それにしても行き交う車もほとんどなく、テルナテ島と比較すると開発も進んでおらず、まさにイメージしていたようなひなびた離島と言うにふさわしい島である。
途中の村で、小さな屋台(ワルン)は見かけるが、商店やレストランと呼べるようなものはない。ましてホテルなどは全く見当たらない。ここで島の住民は、何で生計を立てているのかと思うが、香料、野菜、果物などの農業と、漁業が主なようである。一部の住民は、ハルマヘラ島のニッケル鉱山などに出稼ぎに行っていると聞く。
■階段登りタフラ要塞
島の西海岸を南下し、先端をぐるりと回った島の南東、東海岸沿いにタフラ要塞(ようさい)がある。この要塞までは、島で一番大きい集落のあるソアシウ村の南のはずれから険しい階段を登らねばならなかった。海辺の高い外壁や、建物の基礎部分であったと思われるこけむした土台が、打ち捨てられた砦(とりで)の雰囲気を醸し出している。海の向こうにはハルマヘラ島も見える。
要塞跡からソアシウ村の家並みとマルク海が眼下に望める。この村だけ少し大きめの建物があるが、ほとんどの民家はトタン屋根ぶきだ。
さて、この丘の上に立つタフラ要塞について、ここでも案内板の説明をまとめておく。「スペインがテルナテを支配した1606年から3年間在位したマルクの初代総督が、ティドレに要塞を建設することを計画したが、労働力の不足により完成には至らなかった。その後の総督により1613年から本格的な建設が始まり、15年に完成している。この要塞には50人の砲兵を常駐させ、停泊しているスペイン船を守る役目を課していた」
「スペインは1662年までここを使っていたが、スペインが去ってから力を得たオランダが、1707年にティドレのスルタンにこの要塞を取り壊すよう依頼した。しかし完全に破壊される前に、スルタンはここを宮殿(住居)として維持したいと、オランダに懇請し認められたのである。ここには建物が二つあり、一つは三角形、あとの一つは長方形であった。庭には多くの墓や池もあった」
タフラ要塞を俯瞰撮影したものをインドネシアの旅行会社のホームページで見つけた。うっそうとした森に囲まれた全景が見られ、地上で見るのとは別の、孤高なる砦の雄大さを感じることができる。
要塞跡のはずれで、パパイヤを採っている親子に出会った。子どもたちは恥じらいながらもカメラに収まってくれた。若いパパイヤを料理用に使うのだと言いながら、良く熟れているのもあるので、食べてくださいとナタで割ってくれた。渇いた喉にやさしい味だ。どこの誰ともしれない旅人へのやさしさを感じた。(「インドネシア香料諸島」=宮崎衛夫著=より)