【スラマット・ジャラン】挑戦する姿勢、大事に 梅村正毅さんが帰国 在住歴40年超
インドネシア在住歴40年を超える梅村正毅さん(76)が5月中旬に本帰国する。資源などの事業で、インドネシア社会と密接に関わってきた梅村さんは滞在を振り返り、若い人に向けて「日本の外に出て挑戦する姿勢を大事にしてほしい」と話した。
千代田化工建設の駐在員として東カリマンタン州ボンタンなどに赴任した後、1998年に約30年勤務した同社を退職して、プラントのメンテナンス会社を立ち上げた。
三菱マテリアルなどが出資する東ジャワ州のグレシック銅製錬所や同州のアルミ、ガラス製品製造プラント向けの仕事などを請け負った。アジア通貨危機前後の混迷期からのスタートだったが、日系企業を中心に顧客を増やした。
70歳を前にして一線を完全に退いた。「年をとって、例えば、社員の顔を見ても名前が出ないようになったら、すぱっとやめようと最初から思っていた」と理由を説明する。法令順守をモットーに梅村さんが育てた会社は業績を伸ばし、現在社員約600人を抱える企業に成長している。
77年結成のインドネシア語の歌を歌う集まり「ラグラグ会」での活動もかけがえのない思い出だ。
各地方の歌を覚えて歌うことは、駐在員時代も含めてプラント周辺の住民との交流を深めることにもつながった。「言葉そのものはインドネシア人と同じように話せるようになることはできないが、歌ならこちらの方が上手になることもできる」と語る。
13年前に国籍も取得し、「ここで死のうと思っていた」インドネシア。墓も購入したが、最終的には持病の糖尿病の治療などを考え、神奈川県小田原市に移住することを決断した。「知人が『あいつ最近顔見ないな』『どうやら死んだらしいぞ』と語り合うような、目立たない形で一生を終えたい」と笑う。
■施設での活動が原点
梅村さんが海外移住を志した原点の一つは、明治の企業家、岩崎弥太郎の孫の沢田美喜が、戦後に進駐した連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれた子どもを受け入れるために設立した、児童養護施設エリザベス・サンダースホームでのボランティア活動だ。子どもたちをブラジルに移民として連れていくのを手伝った。「貧困に苦しむ人はいっぱいいる。日本にとどまらずに海外に行くことで、役に立てることもあるのでは」と考えた。
現代の若者は「内向き」といわれることも多い。梅村さんは「海外に移住して夢を実現することも一つの道だ。日本の人口は明治の初めと比べて倍以上になっており、人口の割に狭いと思う。安全な道に行って縮こまるのではなく、冒険してほしい」と語った。(平野慧、写真も)