被災地の教訓、広めたい 震災ボランティアのアンニサさん語る
東日本大震災からもうすぐ7年。当時留学生として日本に滞在、10回にわたって被災地支援のボランティア活動を行ったアンニサ・マフディア・プラティウィさん(32)が23日、南ジャカルタの国際交流基金で体験談を語った。被災地での人との出会い、活動を通して見えた日本や震災に備えるすべなどを伝えた。
2011年3月11日。慶応大学大学院生として横浜市に滞在していたアンニサさん。祖父は岩手県盛岡市出身の日本人で、1年間盛岡に住んでいたこともあり日本に特別な思いがある。
震災後すぐに、在日本インドネシア大使館で在日インドネシア人の安否確認をするコールセンターを手伝った。被災地に住んでいたインドネシア人から助けを求める電話も受けた。「ここに残ってやることがあるのでは」。帰国するインドネシア人が相次ぐ中、日本に残ることを決意した。
5月、日本財団のボランティア派遣で宮城県仙台市を初めて訪れた。「最初は被災地に行ってどんな反応をされるのか不安だった」。ステージの上で「上を向いて歩こう」を披露した時、一緒にステージに上がって歌ってくれた地域の人もいた。その時に「私はあなたの日本のママよ。またいつでも来てね」と声を掛けられたことは今でも忘れないという。
またその際、町中でたくさんのがれきを目にし「まだまだやらなければいけないことがある」と感じた。その後、3日間や1週間のプログラムで9回にわたり、宮城県気仙沼市、南三陸町、岩手県遠野市などでがれきの撤去を手伝った。午前8時から午後4時まで、家の人が戻ってきた時に少しでも早く住み始めることができるようにと思いを込めながら活動してきた。気仙沼市で作業をしている時、実際に津波が来て逃げたこともあった。それでもがれきを撤去するボランティアを続けた。
震災直後の11年に直接被災地を訪れてボランティアをしたインドネシア人は少ない。一緒にボランティアをした仲間はほとんど日本人だった。道場でみんなで宿泊した際、次のボランティアチームのため、熱心に部屋を片付けて、宿泊する前よりもきれいにして帰る姿を見た。「互いに助け合う日本人の心の美しさを感じた」とアンニサさん。
バンドン工科大学と慶応大学でメディア・デザインを専攻していたこともあり、多くの人に伝えようとドキュメンタリー映像を作ることを決意。ボランティアで出会った人などにそれぞれの体験談やその人が見た被災地について話してもらい映像を作成した。この映像は国際交流基金の写真展でも公開された。
震災が起きた際には何をするべきなのか。アンニサさんは緊急時に備えて持ち運べるかばんを作っておくことなど、日本で多くのことを学んだ。「インドネシアも地震など自然災害が多い。日本での経験を伝えるだけでなく、それを踏まえて実際に震災が起きた際に何をするべきなのかも伝えていきたい」(上村夏美、写真も)