【火焔樹】 結婚式とお葬式
救急車がサイレンを鳴らして大通りを駆け抜けようとしている。だが、渋滞でどうにもならないようだ。
それでも、周りのドライバーが気を利かして、先に行かせようと車を少し端に寄せれば、先へ進むことができるかもしれない。しかし、そんな気を利かせる人はあまりいない。
一方、霊柩車が来た場合は、皆の態度が変わる。イスラムでは、死後二十四時間以内に埋葬しなければならないことを心得ていて、少しでも道を譲ろうとする。救急車で運ばれる人が瀕死の状態で一刻を争う場合、こんな状況に巻き込まれたらたまったものではない。死にかけている人よりも死んでしまった人を優先させるのかと、日本だったら皆憤慨するだろう。
死んだ人を優先させるのは、それだけ死が尊いものと考えられ、少しでも早く神のもとへ参上させようとの皆の心配りなのである。
基本的に、お葬式に参列しても悲しみに包まれた湿った雰囲気はない。もちろん、身内の近い人たちの間からは、喪失感や悲しみの涙が滴り落ちることは当然ある。が、神に召されて永遠の来世に旅立つことはムスリム、キリスト教徒に限らず、新たな旅立ちとして喜ばしいことでもあるのだ。
キリスト教徒が多いバタック族(北スマトラ州トバ湖周辺を起源とする)のお葬式では、朝から晩まで三日三晩バンド演奏をする家族が多い。そこで演奏されるのは、ロックや歌謡曲まで様々だ。これらは、明るい気持ちで旅立ちを少しでも盛り立てようとする残された家族の配慮なのである。
私の運転手の弟が結婚をするので招待状を貰った。当日、自宅で行われた式に参列すると、何やら妙な雰囲気が漂っていた。その日の朝におばあさんが亡くなったというのだ。その妙な雰囲気とは、新郎新婦が立ち並ぶその横に遺体が安置されているからだった。
しかし、運転手は「両方ともおめでたいことだから、結婚式とお葬式を一緒に行うことにしました」と微笑んでいた。かくして私は、ご祝儀とお香典を同時に渡すという、人生にまたとない経験をしたのだった。(会社役員・芦田洸)