写真絵はがきから見る歴史 「日本人が見た100年前のインドネシア」出版 中部大の青木教授
中部大学国際関係学部の青木澄夫教授(66)が、100年前のインドネシアや当時の在留日本人についてつづった「日本人が見た100年前のインドネシア 日本人社会と写真絵葉書」が完成し、24日、出版記念会が西ジャワ州バンドン市にあるパジャジャラン大学の施設で開かれた。日本人がインドネシアを撮影した古い写真絵葉書約500枚を独自に収集し、そのうちの100枚以上を掲載。「無名の日本人が残したインドネシアの歴史」を紹介している。
本は288ページで、日本語とインドネシア語の併記。前半部分は100年以上前からインドネシア各地に住んでいた日本人、後半部分は日本人写真師らが残した写真絵はがきに焦点を当てた、2部構成になっている。
本によると、100年前の1916年末、インドネシアには3956人の日本人が住んでいた。彼らがどこに住み、どんな仕事をしていたのか。北スマトラ州メダンを皮切りに各地で日本人会が結成されていたことなど、日本人社会にも目を向けながら、歴史教科書には記されない史実をつづっている。
絵はがきや日本、インドネシア両国の文献を参考に本にまとめた。青木さんが約5年かけて海外のインターネットオークションなどで集めた、東南アジアの古い絵はがきは約千枚に上る。そのうち400〜500枚がインドネシアのもので、撮影したと思われる日本人の写真館は40以上という。
明治時代にすでに、一旗揚げようとした行商や売薬商、「からゆきさん」と呼ばれる身売りされた貧しい女性たちなど、インドネシアに渡った日本人がいたことを知り、文献を調べるうち、絵はがきにたどり着いた。「昔、インドネシアにいた貧しい日本人についての記録は残っていない。だが、写真屋さんだけが、たくさんの写真を絵はがきにして残してくれていた。それを伝えたかった」と出版への思いを語る。
「日本人にもインドネシア人にも読んでほしい」と2カ国語併記にこだわった。「インドネシアに住む日本人に、昔の貧しい日本はインドネシアにお世話になっていたということを少しでも理解してほしい。インドネシアの若い人に対しても、日本は昔から豊かだったわけでないと知ってほしい」と話す。
青木さんは1975年にアフリカに渡り、現地の日本人学校や日本語補習校の助教諭を経て、80年に国際協力事業団(現・国際協力機構=JICA)に入団。JICA時代、3年間インドネシアに駐在したほか、2004年に中部大学教授に着任してからは、学生を連れてインドネシアにフィールドワークでたびたび訪れていた。
3月で中部大学を退職する青木さんにとって、本書は「卒論」だという。退職後はインドネシアに来て、インドネシア語を学びながら、日本に関心を持つインドネシア人を語学面などでサポートしたいと考えている。
本の出版元はじゃかるた新聞。パジャジャラン大学文化科学部日本語研究センターが翻訳を手掛け、中部大学が出版助成金を出した。本は16万ルピアで、3千部発行した。今後はインドネシア国内の書店でも販売予定。購入に関する問い合わせはじゃかるた新聞(☎021・230・3830、メールsale@jkshimbun.com)まで。(木村綾、写真も)
◇ あおき・すみお 中部大学国際関係学部教授。富山大学卒。民間会社勤務後、75年にケニアでスワヒリ語を学ぶ。ナイロビ日本人学校、タンザニア・ダルエスサラーム日本語補習校の助教諭を経て、80年に国際協力事業団(現・国際協力機構=JICA)入団。84〜87年インドネシア事務所。ケニア事務所次長やタンザニア事務所長を歴任。04年から現職。著書に『アフリカに渡った日本人』、『日本人のアフリカ「発見」』など。長野県松本市生まれ。66歳。