「被災地に笑顔を」 アチェと大槌の絆模索 復興ツーリズム軸に奔走 岩手の臼沢さんら

 大槌をなんとかしたい―。東日本大震災で、住民の一割が死亡・行方不明となるなど、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町で地元出身の若者たちが街おこしに奔走している。結婚を間近に控えた昨年三月十一日、津波で婚約者を失った臼沢和行さん(二七)は、震災後に立ち上げられた復興支援の一般社団法人「おらが大槌夢広場」を通じ、「復興ツーリズム」を柱に被災地に観光客を呼び込もうと奮闘。昨年十一月には、二〇〇四年末の津波で甚大な被害を受けたアチェの被災遺児らを地元に迎えたことをきっかけに、大槌とアチェの絆を模索している。

 大槌町は典型的な日本の地方の町。地元に若者の職は少なく、「同級生二百人のうち町に残るのは三十人ほど」だ。人口一万五千二百七十七人(二〇一〇年国勢調査)のうち、六十五歳以上の人口が三〇%を超え、十四歳以下の人口は一四・一%と高齢化が進む。「何にもなくて、本当に嫌いだった」と臼沢さんは述懐する。
 建設会社で工事現場の監督などを務めていた臼沢さんは昨年三月二十六日、中学校の同級生で初恋の押野千恵さん(当時、二七)と結婚する予定だった。高校卒業間近に再び出会うと交際を始め、交際から九周年の記念日に向け、式の準備を進めていた。しかし、津波ですべてが流された。押野さんは見つからず、臼沢さんは何も考えられなくなった。
 三陸海岸沿いの町では津波の被害が甚大だった。同町では死者八百二人、行方不明者五百五人を数え、沿岸部に集中していた住居の多くが流された。「職がないために震災後、二千人ほどが町を離れてしまった。今は人口が一万人を切っているだろう」

■ 婚約者の意志継ぐ
 婚約者を失い無気力になった臼沢さんだったが、「おらが大槌夢広場」の立ち上げに加わった。一度は町を出たが、震災で町ががれきの山になった後、「大槌をどうにかしたい」と町への強い愛着が湧いてきたところだった。
 同団体は被災地を観光資源に観光客を呼び込む「復興ツーリズム」を標榜する。京都でバスガイドをしていたが、故郷に戻り、町の臨時職員を務めていた押野さんの「経験を生かして、大槌に人を呼び込みたい」という夢と重なり合う。臼沢さんは活動を通じて、その夢の実現に向け動き出した。
 活動は芽を出し始め、大企業の新人研修や修学旅行などが始まった。「海外にも被災地を見たい人がたくさんいる」と臼沢さん。
 上野拓也さん(三四)も今年一月、津波にさらわれた父親の遺体を探すうち臼沢さんと出会い、「おらが」の活動に共感。団体に加わった。町外で就職し、町に帰ってくるつもりもなかったが、「破壊されてみて初めて大切さが分かった」と心中を語る。

■ アチェの子どもと出会う
 昨年十一月には二〇〇四年末の二〇〇四年十二月のスマトラ沖地震・津波に見舞われたアチェ災害遺児らと出会った。京都の非政府組織(NGO)「良心市民の会」が、支援するアチェの子どもを大槌町に招待したとき、受け入れを任された。臼沢さんは、「偉い人たちと会って会議をしたりする」日々に疑問を感じ、活動から抜けようかと悩んでいた時期だった。
 しかし、「大槌よりももっと被害を受けたのに、アチェの子どもたちと会ったら、笑顔がまぶしかった。被災地に笑顔を届けたいと思った。インドネシアに自分が救われた」と思い起こす。
 今後は同じく津波に見舞われたアチェとの関係構築を模索していく。大槌の売りである漁業、農業での関係作りを主眼に置く。臼沢さんは「三陸で盛んなアワビ、ホタテなどの養殖技術をインドネシア人に教えるというようなアイデアもある。ジョクジャと京都のような関係を目指したい」と力を込めた。

■ 他国とも情報共有
 臼沢さんと上野さん、良心市民の会の加古川圭司さん(三五)は先月二十五―二十九日、インドネシアを訪れ、ジョクジャカルタで行われたワークショップに参加した。津波、洪水などの被災を経験したスリランカ、インドなど十五カ国のNGOなどとともに復興の現状をプレゼンテーション。二〇一〇年のムラピ山噴火から復興が進んだ地域を視察するなどを通じ、情報を共有した。

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