バティック作家が個展 絹布に幾何学的なジャワの古典柄 40年の集大成 成澤さん「驚かせたい」
日本のバティック(ろうけつ染め)アートの第一人者で染色家の成澤博道(はくどう)さん(65)の個展が1日から中央ジャカルタのモール、グランド・インドネシア内のギャラリー「インドネシア・カヤ」で開かれる。成澤さんは国立バティック研究所(ジョクジャカルタ特別州)を卒業したただ1人の日本人。現在兵庫県宝塚市で工房を開く。日本人作家によるインドネシアでのバティック個展は初めて。「これがバティックなのかと観る人を驚かせたい」と成澤さんは話している。
展示するバティックは10作。絹布にインド藍を染め、三角と四角の幾何学的なジャワの古典柄をあしらったものが多い。アラビア数字に着想を得た人工的な直線と自然界の曲線を融合させたモチーフだ。作品は横2メートル縦1メートルほどの大作ばかり。金と藍の確かな色と文様を出すために時間をかけて何度もろうを染め、完成に4年を費やした。「日本人が考える造形美です。本場のインドネシア人から、これがバティックなのかと言われればうれしい」と成澤さんは話す。
20歳のとき父親の仕事の関係で初来イ。当時グラフィックデザイナーをしていた成澤さんはバティックに興味を持ち、「何でこんな配色の計算ができるのか」と驚いたという。73年、外国人として初めて国立バティック研究所に入学。同校では古典柄を下絵なしで描く昔ながらの手法や、仕上がりを左右するろう描きに必要な道具・チャンティンの使い方などを学んだ。卒業後も度々インドネシアを訪れ、研さんを積みながら宝塚市で工房を開いた。現在1点物の制作依頼を受ける作家活動の傍ら、多くの弟子も育てている。日本独自の草木染めの手法も取り入れて描くが、材料の多くはインドネシアから輸入している。
成澤さんによると、日本人とバティックの出会いは江戸時代後期、長崎出島に出入りするオランダ商人が更紗(さらさ)を持ち込み、着物の裏地に使われ始めたのが始まり。現在でもその名残として着物や帯で使用されている。「わびさびの世界の日本でも、更紗のもつきれいさはごく自然に受け入れられたのでしょう」。バティックは欧州でも古くから人気で、成澤さんもすでにフランス、ドイツ、オランダなどで個展を開いている。
一方でインドネシア国内でのバティック制作の伝承が、途切れつつあることが気がかりという。毎年来イして地方の工房を回るが、古典的な作業を知る職人が年々減っている。また材料面でも「本物の絹が取れなくなった。今高級バティックといわれる商品の素材のほとんどが、中国からの輸入品です」と指摘する。
今後インドネシアでもバティック制作の指導をしたいと話す。「多様なものが混ざった文化がインドネシアの良さ。バティックにも通じている。それをなくしてはいけない」。妻の恵理さん(64)も、かつて神戸にあった在日インドネシア総領事館に勤務していた。語学が達者で成澤さんの作家活動を支えている。
「描く情熱を維持するので手いっぱい。自分用を作るところまではいかない」と成澤さんは笑う。バティックに関わって40年以上になるが、自分で着るバティックは夫婦ともに1枚も持っていない。
個展「ハクドウの世界」はグランド・インドネシア西モール8階の「インドネシア・カヤ」で7日まで開催。午前10時〜午後9時。今後バリ、日本でも開催する予定だ。連絡はメール(hakudobatik@ezweb.ne.jp)。(阿部敬一、写真も)