【ユドヨノ政権10年】 与党間の内紛に翻弄 劣勢の民主党再建へ シャリフディン・ハサン氏(前協同組合・中小企業国務相)
ユドヨノ氏は直接選挙で選ばれたインドネシア初の大統領として輝かしいデビューを果たした。だが政権運営では多党と連立を組みながらも、連立与党からの攻撃にさらされた。民主党の党首代行を務め、閣僚としてもユドヨノ氏を支えてきたシャリフディン・ハサン前協同組合・中小企業国務相(65)に政権の内幕を聞いた。
ハサン氏は10年間をマクロで見た場合、着実に成長してきたと強調する。「世界経済の低調にもかかわらず、インドネシアは過去5年間6%近くの成長を続けている。G20(主要20カ国・地域)の中で2番目、中国に次ぐ勢いだ」。日本とインドネシアの関係もさらに緊密になったと強調し、「日本は依然として投資国1位。投資が増えることで雇用を創出し、失業率も貧困率も低下した」と好循環を生み出してきたと指摘する。
分かりやすい例として携帯電話を挙げる。「10年前に携帯電話は普及していなかったが、現在はメードでも2台持つようになった。9割以上は携帯を持っている」。「所得増から貯蓄、そして消費に回す余裕が生まれたことを国民は実感しているはずだ」。
大臣として中小企業の振興にも力を入れたという。協同組合会員も増え、起業者育成に注力。銀行の小口融資を促進することで成長を後押しした。世界経済フォーラム(WEF)の世界競争力報告で34位にまで上昇した。
インフラ整備の遅れについては「時間がかかるのは確かだ。一昼夜でできるものではない」とし、新政権の課題になるとの見方を示した。
■「連立はめちゃくちゃ」
ユドヨノ氏は自ら民主党を立ち上げ、新興勢力として政治に参画した。ハサン氏は「経済や政治は安定し、インドネシアの民主主義は高く評価された。特に治安は誇れると思う。タイやエジプトの状況とはまったく異なる」と強調する。
だが多党を取り込んだ連立政権の運営には苦労した。特に国会第2党のゴルカル党は、センチュリー銀行救済事件をめぐる国会調査権発動で民主党に反旗を翻した。「連立与党が野党より批判的になる事態に陥った」。日本語も流ちょうなハサン氏は「めちゃくちゃですよ。荒波にやられっぱなし。納得できないし、説明できない」と日本語で胸の内を明かす。
当時はユドヨノ氏が連立与党代表を集めて調整事務局を開設し、ハサン氏は事務局長に就任、バクリー氏らと協議を重ねて事態収拾を図った。
2期10年の長期政権となった背景について、ハサン氏は民主主義という強固な基盤を挙げる。「インドネシアは大統領制だが国会が非常に強い。レフォルマシ(改革)は話し合いを重視する民主主義とともに生まれたからだ。多数の政党の支持を得られただけでなく、政府も市民による政権監視の役割を支持してオープンな運営を心掛けた」。
■選挙で「いい顔」
だが民主党も、政権末期には汚職で党首をはじめとする幹部が次々に逮捕された。摘発される同僚たちを間近で見てきたが、背景には現在の政治制度の弱点があると指摘する。「政権発足後の1、2年目はまだいい。2年を超えると、選挙まであと3年、もう感覚が変わってくる。連立与党も国民に『いい顔ばかり』するようになり、足並みがそろわなくなる」。こうした状態が補助金燃料値上げでピークに達し、政権への信用低下につながった。「選挙が近づき、値上げはとてもできなくなっていた」。
4月の総選挙で第4党に転落。「今後は党の再建に取り組む。党員の質を高め忠誠心を育む」のが優先課題。ジョコウィ次期政権には「あくまで中立の立場で臨む。われわれは国民の利益になる政策は支持し、良くなければ反対する」。
ユドヨノ氏の今後については「確かなことはユドヨノ氏はステーツマンであるということ。国軍幹部、閣僚、筆頭閣僚、大統領として10年。国民だけでなく、国際的にもたたえられている人物だ」と評価した。(聞き手 配島克彦)
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