【ユドヨノ政権10年】 大国の足場固めた功績 地方分権で民主化推進 白石隆氏 (政策研究大学院大学学長)
インドネシアは世界で重きをなす国になってきた。2億4千万の人口は世界第4位。経済規模は世界16位で日本と肩を並べる日も視野に入りつつある。太平洋とインド洋をつなぐ戦略的、地理的な重みもある大国の足場を固めたのがユドヨノ大統領だ。日本のインドネシア研究の第一人者である政策研究大学院大学の白石隆学長はそう見る。
ユドヨノ大統領の最後の2年間のもたつきを見て、政権の10年間を肯定的に受け止めない向きもある。しかし、白石学長は「就任時の政権を取り巻いていた政治的、経済的環境を思い起こせば、ユドヨノ政権は立派な功績を残したと言って間違いない」と指摘する。
就任した2004年、アチェ州の分離独立運動は激化し、中部スラウェシ州ポソやマルク諸島のイスラム教徒とキリスト教徒の対立が先鋭化するなど、紛争が相次いでいた。「インドネシア共和国の正統性に疑問が出ていた時期」である。
白石学長は「インドネシアが崩壊するとは思っていなかった。しかし、マクロ経済も落ち着くのに時間がかかると思い、大変な国になっていく、という感覚で見ていました」と振り返る。
当時、二つのケースを予測したという。「例えばパキスタンのように政府と軍が権力争いをするケース。フィリピンのように、政治の民主化は成し遂げても、経済は停滞し国家は安定しない」。
しかし10年後、予測とは違った。「ご覧のように政治は安定し、今回の大統領選挙に見られるように民主化は相当程度進んだと言えると思います。一方で経済は6%前後の成長を維持し、世界的にも評価される状態になってきた」。
なぜ安定したのか。「大きな要因が、大統領が精力的に推進した政治の地方分権化です。中央が介在せずに地方が自らの問題に自らの考えで対処し始めた。これにより各地で起こる宗教紛争はその地方レベルの問題になり、中央の政治は安定したことが大きい」。
これは歴史上の大きな決断だったと評価する。「私はスカルノ大統領が『国民の父』、スハルト大統領を『国家の父』と言うなら、ユドヨノ大統領は『地方自治の父』になると思います」。
■国際的なバランサー
国際的にもユドヨノ政権は大きな役割を果たした。インドネシアは地政学的に見て極めて重要な位置を占めている。「私は時々、ユドヨノ氏から国際情勢の意見を聞かれました。2005年か06年ごろから大統領は『動的均衡』という言葉を使い始めましてね」。中国が急激に力を強め、インドも台頭し、アジア全体の力のバランスが急速に変わる時代だった。「インドネシアの伝統的外交方針であるベバス・ダン・アクティブ(自由かっ達)を基本姿勢に、地域のバランサー(安定維持勢力)として役割を意図的に果たしてきたと思います」。
11年から日本、米国、豪州と2プラス2(外交と防衛の責任者が話し合う会合)も始めるなど「自国の安全保障体制確立に具体的な手を打った意義は大きいと思います」。
■周辺の汚職は残念
経済面でも安定成長への軌道に乗せた。「大統領の功績と言うより、世界経済の動きにうまく乗れた。中国への一次産品輸出が伸び、低利の資金が出回って消費が刺激されたこともあった。アチェ州の地震・津波などいろいろ大変なことがあったが、幸運に恵まれて乗り切れたと思う」。
やり残したことは、産業構造の高度化だろう。「人材育成、インフラの整備は遅れた」という。
残念なのは民主党党首が汚職問題で逮捕されたり、次男の汚職疑惑が浮かんだり周辺で不明朗な話題が少なくないこと。
「最後の2年間は家族のことを大事にしたり、大統領退任後のことを考えて、様子がおかしくなってきた気がする。インドネシア社会では避けられないことなのでしょうか」と白石学長は首をひねっている。(聞き手 小牧利寿)
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