【ジョコウィ物語】(11) 家具の工業団地開設 メガワティと初めて会う
アジア通貨危機で家具輸出を飛躍的に伸ばしたジョコウィは、中東のドバイにも進出した。12年間のアチェ生活を終えソロに戻った元同僚ハリ・ムルヨノも合流し、世界各国から大規模な投資が集まる同国でリゾート開発に参画した。
木製のコテージやデッキの木材を輸出し、ドバイで組み立てる。需要の大きさに驚き、現地法人の開設を試みて失敗したこともある。ソロ周辺では大小合わせ9軒の工場を構えるまで規模を拡大した。現在、ジョコウィの後を継ぎ社長として事業を取り仕切るハリは「中国への合板輸出、オフィスビルやマンションの木工品製作など幅広く手掛けている」と話す。
ジョコウィはもはや一実業家ではなく、ソロ周辺の家具や製材業全体を考える立場にあった。輸出拡大のためには材木の安定的調達が不可欠だ。数量の多い注文をさばくための生産力、海外市場が要求する質を満たすための労働力の確保。いずれも個人で解決できる範囲を超えた問題だった。
そこでジョコウィは2002年、家具、手工芸品などの業者と家具業者協会(ASMINDO)のソロ支部を設立し、支部長に就任する。当初の加盟業者は約140人。中小企業でも知識やノウハウを得れば、国内だけでなく、海外の顧客とも取引できる。自らそれを実行してきたとの自負もあった。まず経験を共有したい。ジョコウィは加盟者の世話に奔走するようになる。
また、日本貿易振興機構(ジェトロ)など海外機関との協力関係も構築し、産業発展や販路拡大へのアドバイスも得た。いかにソロの業界全体を発展させるか。国際的な視点を取り入れながら中小企業の育成を図るか。協会支部長として諸問題に立ち向かうと、さらに大きな問題が立ちはだかる。
■鉄道輸送計画、不調に
そこでジョコウィが取り組んだのは輸出強化のための効率化だった。一カ所に集積した拠点を造る。04年9月、ソロ北部に隣接するスラゲン県カリジャンベに23ヘクタールの土地を確保し、工業団地「家具・手工芸品産業センター」を開設した。ソロと州都スマランを結ぶ鉄道の線路沿いの立地だ。
「目的は、ソロ周辺から輸出港のあるスマランへの輸送効率化だった。陸路では4時間以上かかる。貨物列車を利用することで大幅に時間短縮し、輸送量も増やせる」。ジョコウィから工業団地の自治会長を任されたムギアント(43)はこう説明する。
開所式には当時のメガワティ大統領(67)が出席した。計3年3カ月の大統領の任期を終える1カ月前。ジョコウィはこの式典で初めてメガワティと顔を合わせる。スラゲン県の知事が闘争民主党(PDIP)所属のウントゥン・ウィヨノ(63)で、党首のメガワティやリニ・スワンディ産業貿易相(離婚後、リニ・スマルノ。現在、政権移行チーム代表)らを招いて県の発展ぶりを誇示した。だが後にウントゥンは、県予算不正流用事件で汚職罪が言い渡されている。
■「次期市長」の掛け声
「県知事ら行政側や国鉄との調整がうまくいかず、鉄道輸送の構想は実現しなかった。実業界の努力だけでは、工業団地の運営や周辺地域の活性化といった課題はあまりにも難題だと痛感した」とムギアントは振り返る。ジョコウィは市長就任後、スマランとソロを結ぶ高速道路建設に注力し、既に工業団地付近まで完成している。開通すればスマランまでの72キロを1時間で結ぶ。
家具業の振興だけでなく、市長になって新しいまち作りに取り組んでほしい。業者仲間からこうした要望が高まった背景には、当時のソロ市長、スラメット・スルヤント(55)に汚職疑惑で非難が集中していたこともある。05年6月のソロ市長選が近づいていた。(敬称略、配島克彦)
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