【ジョコウィ物語】(7)家業の集金で村落回り 職人と一対一の対話

 ジョコウィはジョクジャカルタの国立ガジャマダ大学(UGM)で林業の専門知識を学び始めたが、週末はソロの実家に帰るのが習慣になった。ただゆっくりと休む間もなく、家業の製材業を手伝うことも多かった。
 父のノトミハルジョは、事業を拡大し工場を持つに至った義兄ミヨノほど商才があるわけではなかったが、ソロ周辺の木工職人たちと連携しながら事業を展開。小規模ながらも各地の業者との取引が増えていった。ジョコウィに課された仕事は、こうした取引先への集金だった。
 「最初は手伝ってと言っても嫌そうな顔をしていた。渋々引き受けて、各地を回り始めた」。母のスジアトミは学生当時のジョコウィをこう述懐する。家にはいつも木材が積み上げられていた。家事をしながら製材を手伝う母を見て育ち、自分も何か手伝わなくてはとの思いもあった。
 家業の手伝いは思ったより大変だった。オートバイに乗って村落を回り、職人一人一人と顔を合わせる。集金だけではない。仕事の苦労や家庭の話なども話題になる。職人たちの環境は、かつて河川敷の質素な家で暮らした幼少時とも重なった。林業に関する理論を学ぶ大学とは別世界。後にこの経験がジョコウィ自身が独立して製材・家具業を始める時に役に立つことになる。

■「大和撫子」と交際
 ソロで過ごす週末の時間は、さまざまな機会をもたらした。後に夫人となるイリアナ(50)と知り合ったのも実家にいる時だった。「私たちはスラカルタ第3高校の同級生。数人の友達がよく家に遊びに来ていた」。妹で長女のイイット(50)は、兄がクラスメートを見初めたことにしばらく気付かなかった。「兄が彼女の家に遊びに行くようになり、初めて真剣に付き合い始めたことを知った」。
 イリアナは高校の英語教師の娘。謙虚でつつましい典型的な「プトリ・ソロ(ソロの女性)」で、大和撫子(やまとなでしこ)のようなニュアンスで使われるこの言葉がぴったりの女性だった。「後にも先にもジョコウィが交際したのは彼女だけ」とスジアトミは語る。
 イイットが知る兄は妹思いで面倒見が良い反面、規律に厳しいところがあった。ジョコウィがUGM在学中、イイットと叔父ミヨノの長女ニニック(50)の2人がジョクジャカルタの大学に進学した。入学する時はコス(下宿)探しからジョコウィが世話をした。
 「コスはUGMの大学職員宿舎の近くにしなさい、丈の短いスカートはだめ、男子学生と遊び歩かないように、といろんなことに口を出す」。私立のインドネシア・イスラム大学(UII)に入学したニニックは「付き合うなら国立大学の学生にしなさい」とも言われ、後に夫となるUGMの学生を真っ先にジョコウィに紹介した。

■就職で製材の現場へ
 ジョコウィは林業学部林産物技術学科で優秀な成績を収めた。卒業を控え「大学に残って研究者にならないか」と講師に誘われたが、「家業を継ぐ」と断った。同級生の間では就職活動が盛んになり、企業の名前が飛び交うようになる。
 そこでジョコウィは同級生とともに製材会社に就職することを選んだ。大手の国営クルタス・クラフト・アチェ社。仕事場はアチェのジャングルだが、山岳部で森の中はよく知っている。まず林業の現場に身を置いてみたい。学部の同級生で、植木栽培学科を専攻していたハリ・ムルヨノ(53)も、ジョコウィと一緒に同社に就職した。ハリはアチェ時代から現在に至るまで良き仕事のパートナーとなり、また妹の夫にもなった。(敬称略、配島克彦)

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