【ジョコウィ物語】(4)父はスカルノ信奉者 同業者と墓参欠かさず
ジョコウィの所属政党、闘争民主党(PDIP)は「建国の父」スカルノ初代大統領の流れをくむ由緒ある政党だ。スカルノの国民党が民主党となり、後に長女メガワティが党首になり、さらに孫のプアンへ引き継がれようとしている。
同党の幹部でも議員でもなく、ソロの家具輸出業者に過ぎなかったジョコウィが、なぜこの政党を基盤にソロ市長、ジャカルタ特別州知事、大統領の党候補として擁立され、支持を得たのか。党とのつながりはソロで製材業を手がけ、ジョコウィに引き継いだ父ノトミハルジョにさかのぼる。
ノトミハルジョはスカルノ信奉者として知られていた。ジョコウィら子ども4人が生まれた後、1970年代に入り、妻スジアトミの父や兄とともに製材業を軌道に乗せると、スカルノの墓がある東ジャワ州ブリタルを訪れるようになる。
ノトミハルジョと同い年で、妹夫妻一家の世話をしてきたミヨノはこう振り返る。「とにかく熱狂的なスカルノ信奉者だった。毎年、ブリタルまで墓参りに行っていた。同業者の仲間も一緒に連れて行くから、数十人の団体になった」。
ミヨノは72年に独立し、家具製作なども手掛けながら事業を拡大していたが、ノトミハルジョ一家はまだミヨノの自宅に世話になっていた。それでも年に一回のスカルノ墓参は欠かさなかった。「私から旅費を借りてでも行かないと気が済まないほどだった」。少年ジョコウィはそういう父を見て成長した。
70年代後半、ノトミハルジョは義兄宅を離れ、ソロ市内のマナハン競技場裏に自宅を構える。彼が2000年に他界するまでここで暮らした。この家は現在、ジョコウィの市長時代の運転手が住んでいる。
このマナハン地区でノトミハルジョは旧民主党の警備隊長に選ばれた。党のさまざまな行事の警備を担当したり、支持者の世話をしたりする草の根の活動家。ソロ近郊の村長の長男だったことも素地としてあった。だが「口下手で演説もまったくできない。ただ警備隊の仲間たちから信頼されていたので、地区の隊長になってほしいと頼まれて断れなくなったようだった」。夫の活動を支援してきたスジアトミは「寡黙なところはジョコウィもそっくり」と強調する。
■口下手だが楽団結成
ただ人々を引き付ける特技もあった。ソロは「ブンガワン・ソロ」などの歌で知られる国民音楽クロンチョンが盛んな街。ノトミハルジョはクロンチョン楽団を結成し、知人の結婚式や割礼などの行事がある度に呼ばれた。お祝いの席で人々を楽しませることに喜びを感じていたという。
楽団はバイオリンやチェロ、ギター、ウクレレ状の小型ギターなどの弦楽器で構成。ノトミハルジョはボーカルを担当した。「自宅に楽団員が集まり、よく練習をしていた。今はもうクロンチョンをやる人も減り、楽器もすべて売り払ってしまった」とスジアトミは語る。
音楽好きは父親譲り。ロックファンを公言し「ヘビメタ大統領」として若者の支持を集めるジョコウィは、クロンチョンの優雅なメロディーが流れる家庭で育った。市長時代、ソロでさまざまな文化イベントを企画した背景には、記憶の中で響く父の歌があった。(敬称略、配島克彦)
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