【ジャカルタ・フォーカス】 「線路横の売春」歴史の終わり 中央ジャカルタ・タナアバン

 ジャカルタ特別州は8日までに中央ジャカルタ・タナアバンの国鉄線路脇に広がる売春街ボンカランを取り壊した。州政府は昨年のタナアバン露天商撤去とともに、プレマン(チンピラ)の収入源を絶ち、公権力の強化を目指す。タナアバンの歴史がインフォーマルからフォーマルへの節目を迎えている。

■売春街の地名は「撤去」
 「この後、どこにいけばいいのか」。1990年から露天ディスコを営んだサリファさん(54)は呆然としている。店では大衆音楽ダンドゥットが鳴り響き、どこからともなく得た電気でたくさんの電飾を光らせた。長距離トラックの運転手を中心とした客が体をくねらせ、女性と出会う場所だった。
 だが、ディスコは廃材もろともトラックで持っていかれた。がらがらの跡地では、ふて寝する人もいる。サリファさんは首都には多数の売春地帯があり、他に移ることを視野に入れている。「他地域の仲間に入るためには前金がいるが、その金はない」
 ボンカランは記録がないに等しく、スカルノ時代(45〜65年)にできたとする説がある。ボンカランという言葉は撤去、解体の意で、常に撤去にさらされた運命を表している。複数の露天バー経営者や自警団員は売春地帯は撤去の繰り返しによりタナアバン内のさまざまな場所を転々としたと話した。
 サリファさんは2002年に隣の空き地を追い出されて、国鉄敷地内に入りこんだことを覚えている。「何度も何度も撤去されたが、『朝撤去、夜復活』で生き延びてきた。だが今回はそうはいかない」。しかも今回の立ち退きは政府による補償がないのだ。

■インドラマユから
 売春街ボンカランで働く女性で最も多いのは西ジャワ州インドラマユ出身者という。50代のインドラマユ出身の性産業従事者は「物心ついた時には両親は他界していて、自営業をするお金もなかったので、売春婦にならざるを得なかった」と話した。インドラマユは首都だけでなくジャワ全域の性産業従事者の主要な出身地だ。
 売春街の南には廃品回収を営む低所得者層の住居がある。インドラマユ出身者が大半を占めるらしく、一部は脇のチリウン川分流の西放水路にはみ出すほどだ。電化製品、ペットボトル、金属片などさまざまな廃品を扱う人々が住んでいる。ここにもメスが入った。イワンさん(35)も廃ケーブルを修復して売ることで、ぎりぎり生計を立てている。ブルドーザーが質の低いベニヤと角材、トタン、廃材などを組み合わせた自宅を破壊した。「ジョコウィさん、俺たちだって人間だ」。

■数千人路頭迷う
 撤去はスディルマン通りの下を通り、南ジャカルタ・マンガライまでを目指す。その後「マンガライと北ジャカルタ・プルイットをつなぐ8キロの道路をつくり、渋滞を緩和する」(ヘルヤント州公共事業局長)。だが、線路脇に密集して建てられた住居は千件を超えているにもかかわらず、補償はなく、彼らの行き先は担保されていない。線路脇住民の大半は地方からの流入者で住民登録していないため、正確な立ち退き者数はつかめないが、これは雇用を生むという経済の問題でもある。
 売春街ボンカランはタナアバンで影響力を振るうプレマンが支配してきた。プレマンらは利権の網を各方面に張り巡らし摘発を逃れた。この利権の反発による影響を考慮して、大統領選が終わりかけたタイミングで撤去に踏み切ったとみられる。(吉田拓史、写真も)

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