【火焔樹】 異文化の狭間にて‥
久しぶりに徹夜で仕事をした朝方、疲労困憊(こんぱい)した体を癒そうと近くの民家に行って、シャワーを浴びさせてほしいとお願いした。その家の人は、見知らぬ私を怪しむ表情一つ見せずに笑顔で快諾してくれた。シャワーの後には朝ごはんまで頂いた。見知らぬ人には近寄らない気風がある日本の都会では考えられないことだ。
日本でのこと。天気の良い日曜日に近くの公園に散歩に行った。かわいらしい子どもが走ってきたので、抱き上げて頬に「チュッ」としたその瞬間、お母さんが慌ててやってきて奪うようにその子を取り上げた。スキンシップと変質者は紙一重なのだろう。
日本の航空会社の飛行機に乗って、うたた寝した際に、何かの気配を感じ目を覚ましたその瞬間、スチュワーデスさんの笑顔が目に入った。寒さを感じないようにかけようとしてくれていた毛布が体に触れたので目を覚ましたのだ。驚いて起きてしまうことを予想し、それ以上驚かせないように満面の笑顔で微笑みかけてくれていたのだ。お陰で安心した気分で熟睡することができた。残念ながらインドネシアのスチュワーデスさんは、こんな心配りはまだできない。
インドネシアの病院で入院中の母の病室に泊り込んでいた時、夜中に看護師さんが見回りにきて部屋の電気をいきなりつけた。眩しくて飛び起きた私は、とっさに母が起きないように目元に手をかざした。強く抗議したが、看護師さんは何で抗議されているかわからないようだった。
きめ細かな心配りができる日本の人と、見知らぬ人でも笑顔で受け入れることのできるインドネシアの人がどちらが人間味溢れるかなどと比較はできない。それぞれの社会背景や習慣に左右され、優しさの性質は違えど人の心を和ませ、喜ばせてくれることに変わりはない。
その一方で、みんな悪気はないのだが、異文化の狭間にて起こるこんなギャップに一喜一憂し、ため息をつくこともある。でも、憂の部分は忘れて、笑って許せる器量を持ちたい。(会社役員・芦田洸)