【ポスト・ユドヨノ時代を読む】(3) 「キングメーカー」めぐる神経戦 メガワティ氏の心境を推理
前回、「ジョコウィ旋風」が世論をにぎわすなか、メガワティ元大統領の取り巻きたちは、彼女を大統領選挙に再出馬させるシナリオを目論んでいるという闘争民主党内部の力学を紹介した。
その動きは、年末にかけて急速に表面化し、党幹部数人が「大統領候補メガワティ、副大統領候補ジョコウィ」というコンビを擁立する可能性について公の場で話すようになった。それを受けてメディアでも、「メガワティ氏は野心がありすぎ」とか「国民は彼女ではなくジョコウィ氏の大統領選出馬を期待している」などとさまざまな議論が飛び交うようになった。
ほくそ笑んでいるのが他党勢力である。もし私が他党のアドバイザーだったら、あらゆるチャンネルを通じて「メガワティ待望論」を彼女の側近に吹き込むだろう。人気のジョコウィ氏の出馬を阻止できれば、他党の得票アップに直結するからだ。こういう外部の狙いと闘争民主党内部の力学が共鳴して、「メガワティ出馬シナリオ」が浮上している。
もちろん彼女が本当に出馬するかはまだわからない。彼女の心中は「野心の有無」だけでは探れない。実はもっと複雑だ。それを正確に解読しないと、どのボタンを押すことで彼女がどう決断するかを理解できない。間違ったボタンを押せば彼女も予期せぬ方向に動いてしまう。ジョコウィ擁立を望む勢力は、そのボタンの押し方を間違えないことが大事になる。
■舞い上がって出馬の場合
ボタンは三つある。ひとつは彼女が取り巻きにチヤホヤされ舞い上がり、出馬意欲を持ってしまった場合に押すボタンである。要は夢から覚めさせればよい。つまりメガ氏の人気は高くないし、仮にメガ=ジョコウィペアで出馬しても「勝てるかどうか微妙ですよ、負けたら国民から総スカンくらいますよ」ということを悟らせればよい。これで夢から覚める。
■野心に燃えて出馬の場合
第2のボタンは、確信的に野心を持っている場合に押すボタンである。メガ氏はユドヨノ大統領に過去2回選挙で負けており、以来、口も聞かないほど悔しくてしょうがない。「にっくきユドヨノ」に優越するチャンスが到来し、「いつやるの? 今でしょう」と野心に燃えている可能性がある。その場合に押すボタンは、彼女の尊厳を重んじ、政権担当者に舞い戻って多忙で困難な日々を送るよりも「偉大なる国民の母」となり、ユドヨノ氏とのカリスマの違いを見せつけてやりましょうよ、と説得することである。
大統領職や煩わしい政権運営はジョコウィ氏に任せ、自分は彼の後見人として日々全国を周って国民と対話し、「皆に愛されるイブ」として君臨する。ジョコウィ氏に政権を2期やらせれば、これから10年はイブの時代。インドネシア経済の黄金時代にイブは歴史に名をとどろかせる。こういうビジョンを彼女に示し、野心の矛先をシフトさせるボタンを押す必要があろう。
■負け戦覚悟で出馬の場合
第3のシナリオが、やや厄介なものである。それは彼女が「舞い上がり」や「野心」ではなく「保身」を理由に出馬意欲を持つ場合である。過去10年間の野党生活は、実は周りが考えるほど彼女にとって居心地の悪いものではなかった。党内では女王様扱いされ、地方に行けば自党出身の州知事や県知事たちが下僕のように振る舞ってくれる。
この現状は快適だ。失いたくない。もし世論に乗ってジョコウィ氏を擁立し、選挙で勝ったとする。間違いなく今後は彼が求心力となる。その時、人は自分を女王様として見てくれなくなる可能性がある。そのリスクがある限り自分が出馬する。負けてもいい。どう転んでも次は国会第1党か第2党の党首として、皆から崇拝され、今の快適な環境を継続できる。彼女がこう考えている可能性がある。
その場合に押すボタンは何か。彼女の地位が不動だということの確約である。ジョコウィ氏が大統領になっても、イブはずっと与党党首として絶大な決定権を持ち、それは絶対に侵害されないというビジョンを彼女に示し、ジョコウィ氏とのパワー・シェアリングが十分可能であることを理解させればよい。
さあメガ氏の心中はいかに。そして正しいボタンは押されるのか。その神経戦の行方に、次期大統領最有力候補の命運がかかっている。(本名純・立命館大学国際関係学部教授、月1回のペースで随時掲載)