千棟建設計画復活の岐路

 日本では経済成長期に国などが建設したニュータウンが老朽化し、住民も高齢化したため各地で建て替えられた。ジャカルタでもスハルト元大統領が力を入れた最古の団地2カ所で建て替え問題に直面している。話し合いは難航しているが、今後の住宅政策の試金石として注目されている。(吉田拓史、写真も)

 昨年8月、ユスフ・カラ・インドネシア赤十字総裁(前副大統領)は前日の火災で269戸が焼けた西ジャカルタ・タンボラ郡プコジャンのカンプン(村落)を視察した。団地計画が浮上するなかでの火災。スティヨソ元知事と視察を終えた後にカラ氏はこう語る。「火災防止策として団地建設が不可欠だ」。
 2007年、カラ前副大統領が音頭をとり5年間で全国に団地千棟の建設が始まった。プルムナス(インドネシア住宅公団)に加え民間デベロッパーの協力も得る仕組みを目指したが、法制の不備、民間参入の条件付けの甘さがたたり、5年後138棟に留まった。
 「千棟計画を首都で再活性化する」。今年3月にジョコウィ知事とダフラン・イスカン国営企業担当国務相、ジャン・ファリズ国民住宅担当国務相が合意。以来プルムナスが新規の団地建設だけでなく、老朽化団地建て替えも加速させることが決まった。
 だが、ジャカルタの地価は高騰しつつある。中銀統計によると13年第3四半期の前年同期比で19%高。高級不動産に限れば、ジャカルタは1年で27・2%と世界の都市で上昇率トップ(英不動産大手ナイトフランクまとめ)。このため中間層以下の住宅購入は一層難しくなり、土地購入費が上昇したため、安価な団地を供給するのも難しくなりつつある。
▽最古の団地
 インドネシア最初のタナアバン団地は81年に完成した。プラザインドネシアから西に200メートルにある分譲型の団地は4階建て16室の小棟が60、計960室ある。団地のスマルノ第11町内会長はかつて中央省庁官僚で現在は年金生活。建設当時から30年以上住んでいる。「もとの土地はアラブ人らの墓地や空き地の3・6ヘクタール。入居申し込みは3回に分けられ、私は2回目に申し込んだ。スハルト大統領が訪れ式典を開いた」。バスケットボール場、公園、集会場、モスク、中庭があり、「近代的集合住宅」のモデルケースを造ろうとした形跡が伺える。ただ1階の住民のほとんどは通路と建物の間の緑地に増築してワルン(食堂)、クリーニング屋などを営んで副収入にする。スマルノ会長は「共用部分で2〜4階の住民も同じ額を払ったのに1階の人だけが使っている」とこぼした。
 団地自治会によると、建設当時は公務員が入居した。その後売買が活発化し住民が多様化。500メートル北のタナアバン市場でイスラム服卸売りを営む華人らも住む。
▽団地建て替え交渉難航 
 日本大使館近くに84年にできた2番目のクボンカチャン団地(分譲型)は外壁の老朽化がひどい。だが、住民の多くは内装を改装し、テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器を持つのが一般的。廊下は広く駐車場には乗用車がずらりとある。8棟634室の団地もタムリン通りから50メートルなので土地の値上がりが激しい。
 自警団員のママタサルさん(60)は「この土地は30年前、タナアバン市場で露天商をする人の住む貧しいカンプンだった」という。団地建設に伴い住民の一部は高額の補償をもらい郊外に移転。残りの200世帯が団地の3棟に入居した。残り5棟には外から新住民が移り住んだ。
 プルムナスはこの二つの団地を高層アパートに建て替える計画を住民に打診。イルワン自治会長(52)は「プルムナスは高層アパートに住民が移れることを確約していない」と不信感を表明、「両団地の自治会がプルムナスに対して共闘している」と話した。両者は9回話し合ったがすべて物別れ。国家オンブズマン委員会が仲裁に入って早1年経つ。
 
 ◇団地千棟計画 ユスフ・カラ副大統領(当時)の団地千棟建設計画。首都での同計画再活性化に合意したファリズ住宅担当国務相はジョコウィ知事の選挙を支援、カラ副大統領も知事の出馬をお膳立てした。3者の協力で団地立て替えも含めた千棟計画がよみがえるか、期待が集まる。

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