バトゥの小野さん 訪問 最後の元残留日本兵 「次世代に心伝える」 福祉友の会メンバーら
敗戦後もインドネシアに残り独立戦争を戦った日本人の互助組織、福祉友の会のメンバーらが4日、確認されている人として最後の元残留日本兵となった東ジャワ州バトゥ在住の小野盛さん(94、インドネシア名・ラフマット)を訪問し、先月16日の宮原永治さんの死去など近況を報告した。
小野さんは3年ほど前から完全に目が見えなくなったが、一行を迎えようと立ち上がって握手を求めるなど元気な様子。同行した野村昇・駐スラバヤ日本総領事がお土産に持参した焼酎を受け取り、「こっそり飲みます」と周りを笑わせた。
日頃はテレビやラジオを聞いて過ごし、孫やひ孫と遊ぶのが楽しみという。訪問客が来ると、独立戦争で戦った時の様子などについて話し、この日も地元テレビ局のインタビューに、流ちょうなインドネシア語で応じた。
小野さんは、独立戦争時の48年9月、左手の肘から先を失ったが、妻のダルカシさん(82年死去)の故郷であるバトゥで、木工の仕事や野菜、果物の栽培に従事。その後、ジャカルタの日系貿易会社などを経て、90年にバトゥに戻り、子どもや孫、ひ孫に囲まれ、余生を送っている。
最近のインドネシアの状況について、「独立戦争の時はみな生死も考えず、早く独立するという思いだけだった。今は金欲しさの人間が多すぎる」と苦言を呈した。
福祉友の会のヘル・サントソ衛藤さんのほか、スラバヤの同会メンバーのヤント石井さん、と弟のヘリー石井さん、ペペン前田さん、エンダン大塚さんらに囲まれ、「福祉友の会の『兄弟』の子どもたちには頑張ってもらいたい」と小野さん。ヘルさんは「残留日本兵の存在と心を次世代に伝え、日本とインドネシアの友好親善に尽くします」と話し、今後の健闘を誓った。(東ジャワ州バトゥで上野太郎、写真も)