「レクラ」活動を検証 週刊誌「テンポ」特集 共産党系文化団体
1965年に発生したインドネシア共産党(PKI)系将校のクーデター未遂とされる「9.30事件」から48年を迎え、週刊誌「テンポ」が9月30日号で共産党系文化団体「レクラ(人民文化協会)」の特集を掲載した。レクラにはノーベル文学賞候補に名前が挙がっていた作家の故プラムディア・アナンタ・トゥール氏も参加。文学・芸術界で大きな影響力を持った。地方でも芸術を通した革命思想の普及に取り組んだが、共産党の下部組織だったとの見方には疑問符を付ける。共産党粛清の嵐で人生が翻弄(ほんろう)された芸術家らの経験も紹介するなど、多様な視点から検証する内容となっている。
約70ページにわたる特集では、レクラの設立から9.30事件後の活動停止とその後をたどる。芸術活動は政治的な目標を達成するために、政治に従属すべきとした「政治が最高司令官」というスローガンなどの基本方針に加え、ジャワのクトプラックやルドルックなど伝統的な大衆演劇の上演を通して革命思想を市民に広めた文化活動などを紹介する。
「レクラとPKIの直接のつながりを示すことは困難だ。PKIのアイディット書記長らが設立した団体だが、党の公式広報機関ではなかった」と指摘し、レクラはPKIから独立した団体だったとの立場をとる。メンバーらの個人的なつながりはあったが「レクラはスハルト時代にPKIと結びつけられた」としている。
9.30事件以降、作家や画家、彫刻家などを含む多くのレクラのメンバーらが政治犯として逮捕、投獄された。同年の11月30日にはレクラの作品の普及を禁じる教育大臣令が出され、メンバーらは芸術活動ができなくなった。政治犯として投獄された元メンバーらが、紙やペンの使用が禁じられた獄中で、自作の詩句を服の裾に縫って残したことや、出獄後も住民登録証(KTP)には「元受刑者」と記され、就職を拒まれ続けたため、匿名で作品を発表した経験などを明らかにする。(宮平麻里子)