日本語リーフレット配布へ 矢倉さん、エティさん尽力 アジア・アフリカ会議博物館

 西ジャワ州バンドンのアジア・アフリカ会議博物館は来月11日以降、日本語版のリーフレット、ブックレットの配布を始める。バンドン日本人学校(BJS)教諭の矢倉良一さん(40)とパジャジャラン大学の日本語講師エティ・マルティニさん(65)が和訳した。日本語版はインドネシア語、英語、中国語に次ぐ4言語目。

 矢倉さんは2010年の夏休みに同博物館を見学。博物館が展示するアジア・アフリカ会議の資料を理解するには、外国語では難しく、日本人には日本語による説明が必要と考えた。
 昨年3月、来日時から親交のあるエティさんとともに自主的に翻訳を始めた。矢倉さんがインドネシア語版の下訳を作り、エティさんがインドネシア語版との整合性を確認。矢倉さんが再び日本語の言葉遣いを整えるという作業を進めていった。
 矢倉さんらは白黒印刷の第1刷を200枚、カラーの第2刷を200枚博物館に提供。ともに今年1月までに品切れになったため、博物館はリーフレット2500枚、ブックレット千枚の印刷を決めた。トマス・シレガル館長は「日本人はオランダ人に次ぐ主な外国人訪問者。これからもぜひ来館してほしい。矢倉さんの好意に感謝する」と語った。館長は90年代初頭に神戸市に滞在した経験があるという。
 エティさんはアジア・アフリカ会議に縁がある。父故ジェームス・アディウィジャヤさんは当時、バンドンの地元紙ピキラン・ラクヤットの新聞記者として会議を取材した。博物館にはジェームスさんが使用したカメラが展示されている。エティさんは国際交流基金の制度で日本に短期留学後、北スマトラ州メダンで日本語講師をしていたため、翻訳作業で同館を訪れたときに初めて父のカメラを知ったという。
 会議は東西冷戦さなかの1955年、アジア・アフリカの戦後独立国など29カ国が参加。インドのネルー首相、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領とともにスカルノ大統領が非同盟運動の旗手になった。経済企画庁長官の高碕達之助氏が日本代表として参加し、周恩来首相との秘密会談が後の日中国交正常化の布石になった。
 矢倉さんは25日、博物館の親善大使に任命された。派遣元の大阪市、日本の文部科学省からも感謝状を受け取った。
 「ジャカルタ日本人学校は博物館を毎年見学している。通訳のようなことができればと思った」。今月3月に帰任する。 (吉田拓史、写真も)

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