「中韓より南へ」 ゲートウェイ構想へ視察団 沖縄経済同友会
沖縄経済同友会は18〜22日の日程でインドネシア視察をしている。元々、東南アジアとの距離が近く、歴史的に漁業や貿易を通じた交流が盛んだった沖縄。昨年に県が発表した「沖縄21世紀ビジョン」では、アジア・ゲートウェイの実現を掲げ、アジア域内での交流促進や経済発展の取り込みなどを目指す。近年、特に東南アジアの新興国で経済が活発化し、市場が拡大していることや、中国、韓国との関係がこじれていることなどを背景に、経済同友会は「中韓よりももっと南に目を向けよう」との方針を打ち出し、東南アジアとの関係強化を図っている。
視察団には沖縄銀行、東亜運輸、ビジネスランドなどから16人が参加。18日午後ジャカルタに到着し、19日午前は日本貿易振興機構(ジェトロ)ジャカルタ事務所でインドネシア経済の説明を受けた。同日午後、元日本留学生が設立したダルマ・プルサダ大学を視察。夕方からは沖縄県人会と意見交換会、懇親会を開いた。
意見交換会は県人会がインドネシアの情報を提供。視察団から事業の可能性についての質問なども出た。
経済同友会は、東南アジア重視の姿勢を打ち出しており、視察団長の稲嶺有晃・同会常任幹事(東亜運輸社長)は「沖縄は東京と東アジアの中間点に位置する地理的特性を生かし、日本の玄関になる。これまでは『東京に追いつけ』だったが、これからは東南アジアについての日本のフロントランナーを目指す」と語る。
昨年はベトナムを視察。今後、タイ、フィリピンなども検討していくが、その中でもインドネシアは有望という。「2011年のタイの洪水で、インドネシアの自動車産業が脚光を浴びた。人口動態を見れば、有望な市場であることは明らかだ」
■インドネシアとの縁
稲嶺常任幹事自身もインドネシアと浅からぬ縁がある。父は故スハルト初代大統領と親交のあった参院議員・実業家の故稲嶺一郎氏(1989年死去)。一郎氏は日本軍政期の44年にジャカルタ海軍武官府・華僑課長として赴任した。
同氏の回顧録によると、敗戦後ジャカルタに留まり、連合軍との戦いに挑む独立軍への武器の引き渡しに尽力。日本陸軍が「独立軍に襲われてやむなく、武器を置いたまま逃亡した」形を取り、武器が独立軍に渡ったという。その後、上陸した連合軍に捕らえられ、半年以上、ジャカルタのグロドック刑務所に拘留された。
稲嶺氏は戦後、スハルト氏やそのブレーンだった故アリ・ムルトポ元情報相と親交を交わし、日イ外交の懸け橋になった。(吉田拓史、写真も)