「日本がお返しする時」 洪水支援に奔走 阪神大震災被災の元留学生
先月17日のジャカルタ大洪水で被害が甚大だった北ジャカルタ・プンジャリンガン。18年前の阪神・淡路大震災と東日本大震災で支援活動をした経験がある福田大さん(39)が支援を通じ、被災現場を見た。その活動を動かしたのは福田さんが働く会社の社長、イルワンさん(38)。神戸に留学し阪神大震災で被災した華人のインドネシア人だ。
イルワンさんが経営するビナ・トレーディング・インドネシア社の社員は24〜26日、1週間冠水した北ジャカルタ・プルイットの南に接するプンジャリンガン郡トゥルクゴンで炊き出しをした。活動場所をプンジャリンガンにしたのには理由があった。「1週間冠水した北ジャカルタ・プルイットの被害はメディアで大きく取り上げられた一方、南のプンジャリンガンには人の目が当たらず、支援の手が手薄だった」(イルワンさん)。プンジャリンガンも港湾から南に1キロほどの臨海地で低地に位置する。氾濫したプルイット貯水池にも近く、冠水が17日以降も数日間続いたという。
しかも住民は低所得者が多い。家財道具が流され、食器しか残っていないような世帯もあり、冠水による漏電で火事も頻発。住民は打撃を受けた。
イルワンさんらは混乱を避けるため事前に町内会を通して整理券を配布。3日間に渡り、炊き出しでミーゴレン、ナシゴレンと食料数日分を被災者に配った。1100人に食料を届け、テント、鍋、コンロなどの調理器具を含めると費用は3500万ルピアという。
福田さんも26日に現場入りした。「言葉は違ったが、被災地ではやることは一緒だと感じた」。福田さんは鈴鹿サーキットで自動車競技に携わっていたが、10月からインドネシアで働き始めた。阪神大震災の被災地ではオフロードバイクに乗って情報が寸断された地域をつなぐメッセンジャーをしていた。今回の現場にも、機動性の高さがいかせるとオフロードバイクで入った。
日本の被災現場との違いにも気が付いた。「日本では現場が悲壮感に包まれ、活動から戻った後はうっ屈とすることがあった。でもインドネシアでは被災者が明るかった。助ける側も楽しんでやっていて、悲壮感がない。でも、危機感が表に出ないので、逆に本当に困っているのにそれが伝わらないこともあると思う」
支援のきっかけはイルワンさんの母校「ストモ高校」(北スマトラ州メダン)の同窓会が洪水の寄付金集めをしたことにさかのぼる。被害が大きかったプルイットはメダン出身の華人が多く住む地域でもあり、「少数派としてインドネシアに貢献しよう、困った人を助けよう」と支援を決めた。
イルワンさんは1991〜2003年まで日本に在住した神戸商科大の卒業生。95年の阪神大震災で神戸で避難生活をしたことが、炊き出しによる支援の糧になった。「被災したときはとても不安になる。一番大事なのはライフライン、食事」。
「中国や韓国では反日のムードがあるが、インドネシアは親日国。東日本大震災のときは、日本に行ったことがない、よく知らないインドネシア人まで共感し日本を支援した。今回は5年に一度の大災害で、日本がお返しする時ではないか、と親日派として思う。今度ジャカルタで何か起きたときは仲間同士で声を掛け合って何かやりたいなと思う」(吉田拓史)