【火焔樹】 戻ってきた財布

 近所の人が雑貨屋を開いたと聞いて行ってみると、店番をしていたその初老の男性が私に話しかけてきた。仕事で日本へ行ったことがある。そのとき財布をなくしたが、それが戻ってきたと。
 聞くともう30年以上前のことなのに「電車に乗っていたら財布がないことに気が付いた。大変なことになったと思いながら宿に戻ると、会社から電話があって、誰かが私の財布を拾って届けたと言うんだ。中身はそっくりそのままでね。いやー驚いたよ」とまるで昨日のことのように真顔で話した。
 「日本軍はオランダから国民を解放したとしてどこでも大歓迎された。日本は国旗や国歌、インドネシア語の使用を許すことで人々の心をつかもうとした。しかしこれには隠れたもくろみがあった。それはインドネシアを支配して天然資源を根こそぎ奪い、労働力として国民をこき使うことだった。日本軍による強制労働は過酷を極め、多くが飢えや病気で命を落とした。日本軍はオランダ人より残酷だった」。小学校の歴史の教科書の記述だ。
 メトロTVの人気番組で「従軍慰安婦」だったという3人の老女がインタビューに答えていた。その一人、ジョクジャカルタのマルディエムさんは13歳の時、カリマンタンで踊り子の仕事があると言われて行ってみたところ、踊りではなく、毎日十数人の日本兵の相手をさせられたという。そのうち妊娠するとお腹を押されて中絶させられたと当時の辛い体験をジャワ語で淡々と語った。同じく当時13歳だったというエマさんは市場で買い物中に6人の日本兵に誘拐されその日から働かされたと‥。
 インドネシアには日本が好きというインドネシア人が大勢いる。先の雑貨屋の男性も間違いなくその一人だ。彼はこの30年間、日本のことが話題になるたびに戻ってきた財布の話をしたに違いない。教科書で読んだことより、テレビで聞いた話より、体験した本人から直接聞く話のほうがどれほど印象深いだろうか。最後に先の男性はしみじみこう付け加えた。「いい国だ。機会があったらもう一度行きたい」と。(北井香織)

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