「東北に笑顔届けたい」 被災地の教員ら参加 スマトラ沖地震・津波8年 アチェで追悼式典
インドネシア北西端のアチェを中心に22万人以上の死者・行方不明者を出したスマトラ沖地震・津波の発生から8年が経った26日、被災した各地で追悼集会が開かれた。アチェ州州都バンダアチェ近郊のマラハヤティ港で開かれたザイニ・アブドゥラ州知事主催の集会には、東日本大震災の被災地を含む東北地方の教員らも参加。代表としてあいさつした岩手県立宮古高校の小笠原潤教諭は「皆さんの元気を日本の子どもたちに伝えるために来ました。皆さんの笑顔を私たちに分けてください」と述べ、被災地の連帯を呼び掛けた。(関口潤)
小笠原さんら東北3県の教員8人は、国際協力機構(JICA)の「教師海外研修事業」で22日からインドネシアを訪問。アチェでは学校で防災教育について意見交換したほか、稚魚の養殖場やマングローブ植林など、地域に内在する資源を生かした開発の様子を視察した。視察の成果は児童・生徒の教育に生かす。
小笠原さんは式典あいさつの冒頭、インドネシア語で「去年の3月11日、黒い水が盛り上がってくるのを、学校の3階から見ていました。多くの人々が亡くなり、行方不明の人もたくさんいます」と被災の状況を説明。
その上で、「インドネシアと日本は大きな地震と津波があり、かけがえのない多くのものを失いました。その悲しみや苦しみは、時が過ぎても癒えることはないでしょう。しかし、インドネシアと日本は共に手を取り合い、助け合って歩んでいくことで、素晴らしい未来を築いていけると信じています」と訴えた。
式典には市民ら約5千人が参加。イスラム指導者らが同様の被災が起こらないよう祈りを捧げた。
ザイニ知事は「いつ起こるか分からない災害に備えて常に警戒しなければいけない」と述べ、改めて防災意識を高く持たなければいけないと強調。津波後の日本の支援に感謝の意を示すとともに、東北の教員の訪問を歓迎し、「一層、両国間の協力を深めていきたい」と語った。
式典に参加した濱田雄二・駐メダン日本総領事は、被災直後のアチェの様子を「原爆が落ちた広島や長崎のように、何もなかった」と振り返った上で、現在のアチェは「まるで変わった。人も街も明るくなっている」と話す。
津波から8年、アチェ和平合意から7年が経過し、今年初めには元独立派幹部のザイニ氏が知事に就任した。「アチェ人によるアチェの自治を、前向きに自信を持って進めている」と感じているという。
今年の式典が海の近くで開かれたことについて、アチェで防災文化の研究を続け、式典にも参加した立教大学アジア地域研究所の高藤洋子研究員は「アチェの人々の気持ちの変化を感じる」と語る。記憶の風化も徐々に進んでいるというが、26日は地元紙が被災の様子の写真を大きく掲載し、半旗が掲げられるなどしており、「当時のことを思い出す契機になっているようだ」と語った。
◇スマトラ沖地震・津波
2004年12月26日午前8時ごろ、アチェ州ムラボ海岸沖を震源に発生。マグニチュード9・3。インド洋沿岸の12カ国を津波が襲い、22万人以上が死亡、行方不明になった。アチェでの死者・行方不明者は17万人。約30年間、アチェでは独立派とインドネシア政府の内戦が続いたが、津波の壊滅的な被害で和平への機運が生まれ、翌05年に独立派と政府がアチェ和平に正式合意した。