なりすまし、戸籍売買も 入管法改正で接点 【甦る縁 沖縄と北スラウェシ】(第4回)
■水産業者が仲介
沖縄からカツオを求めて南方出漁した漁民たちは、太平洋戦争の勃発によって北スラウェシから姿を消した。しかし、日本の出入国管理法が1990年に改正されて以後、再びこの地方と日本の接点が生まれた。
法改正では、日系3世までとその家族に対して就労に職種を問わない在留資格(日系ビザ)が認められるようになった。そのころ、茨城県大洗の水産加工業者では労働者不足が続いており、業者側は98年ごろから北スラウェシに住む日系人の雇用に向けたビザ取得の仲介に乗り出した。
北スラウェシに住む沖縄系インドネシア人にとっても、10倍近くの収入を得ることができる日本への出稼ぎは念願となっていった。数年間の日本滞在で貯めた金を持って帰り、地元で豪邸を建てる日系人も出てきた。
■日系ビザとは‥
だが、日本行きはそう簡単に叶わなかった。
日系ビザとは、2世の「日本人の配偶者等」と3世が該当する「定住者」という在留資格を指す。外国人研修制度とは異なり、日本国内での就労制限が無く、給与も最低賃金法に準じて支払われる。
出入国管理局に申請する在留資格認定に必要となる書類の一つに身元保証書があり、親族などが務める保証人の捺印を得なければならない。保証人には帰国旅費などの肩代わりを求められることもあるが、血縁があることを証明する道義的な意味合いが強い。
しかし、そもそも半世紀以上前に去った先祖の親族を突き止めることは困難で、北スラウェシの子孫の多くが渡航して調べる費用も持ち合わせていなかった。その上、親類の捺印を得る必要があることは大きな壁だった。
■2千ドル払えば
北スラウェシの日系人社会では、出稼ぎを果たせなかった子孫たちが、出稼ぎ中の蓄えを持って戻ってくる「日本帰り」をうらやむ雰囲気も生まれた。
今、日系人社会の間でうわさになっているのは、戸籍売買となりすまし問題だ。インドネシア側の仲介業者が別人から賄賂を受け取り、戸籍関係書類を売ったり、本人にしたて上げたりしているのではないかと、疑いの声が上がっている。
ある中年のインドネシア人女性は「2千ドルを払えば日本で働ける」と仲介業者に持ちかけられたことがあると話す。戸籍関係書類を業者に渡したまま戻ってこないと苦情を言う日系人もおり、きな臭さが漂っている。(敬称略 岡坂泰寛、写真も つづく)