帰国看護師に就職説明会 「再挑戦への準備期間に」 「経験生かし地元で看護」 63人参加、動機さまざま
日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で訪日したが、3年間の滞在期限中に国家試験に合格できなかったことなどを理由に帰国した元候補者と、インドネシア国内の医療機関や日系企業のマッチングを探る就職説明会が27日、南ジャカルタの保健省保健強化センターであり、元候補者63人、商社や製造、サービス業など日系企業約30社、地場系の医療機関が参加した。元候補者はそれまでのキャリアを捨てて日本に渡ったものの、志半ばで帰国した人が大半。日本の労働環境や文化に身を置いたという貴重な経験をした人材の再就職をサポートしようと、事業を担った在インドネシア日本大使館とインドネシア保健省が昨年10月に引き続き、企画した。(道下健弘、写真も)
日系企業にとっても、活動の活発化に伴い、駐在員数や日本人との取引が増える中、日本語能力の高い人材確保が多くの日系企業で課題になっている。患者や入所者との接触で対人関係の築き方も養った人材に対し、企業側からは「日本で過ごし、文化やメンタリティーをある程度分かっている人は日本人とのコミュニケーションで役に立つ」(ホンダ・プロスペクト・モーターの石渡喜太郎氏)との声が聞かれた。
一方、元候補者の参加同機はさまざまだ。
ドゥウィ・アユハティさん(27)=2009年訪日=は日本で看護師になることを諦めた。今後も国家試験を受けず、インドネシアで看護師として再就職するつもりという。
日本ではインドネシアに比べ、入院患者の食事や入浴も病院側で介助することが多く、労働環境の違いが壁になったと打ち明ける。インドネシアで看護師を3年間務めた経験があるドゥウィさんにとって、正規の看護師として働けないわだかまりもあったというが、「リハビリ医療など、日本は先進的だった。両国の良い要素を自分なりに取り入れながら仕事にあたりたい」と前向きだ。
両親の勧めで看護師を目指したという元候補者の女性=08年訪日、11年帰国=は「本当は秘書になるのが夢だった。せっかく日本語を覚えたので、今後も生かしたい」と、サービス業のブースを回った。現在は別の日系企業で働いているが、待遇の良い企業への転職を考えているという。
「日本に行って、日本で働きたいという気持ちが強くなった」という女性=09年訪日=のように、再受験のための準備期間として、日本語を使う環境で働くことを希望する元候補者も多かった。
08年から始まった事業では看護、介護士計892人が訪日したが、合格率は低迷。今年も看護師が約13%、介護士が約37%にとどまっている。大使館が把握している帰国者は約200人いる。
同日夜には、鹿取克章大使が公邸に帰国者を招き、慰労会を開いた。