【火焔樹】 白衣の改革者
先だって日本へ出張した折、日本で働いているインドネシア人看護師さんたちに会い、食事をともにする機会があった。
女性はおしゃれをして、日本の年ごろの女の子たちと変わらず、男性はスーツに身を包み、すでに日本の習慣にだいぶ馴染んでいるようで、ワイングラスをかちんと合わせて「乾杯」と大きな声を出して我々の宴は始まった。
皆、日本の規律正しさ、職業意識の高さにはおおいに感服しているようで、計画通りに物事が進み、終わることに驚きの声を上げていた。どんな職業の人でも、働いている人がいかにリスペクトされ、特に看護師という職業がどれほど社会の中で敬意を払われているか身を持って感じたとのことだった。
確かにインドネシアでは、看護師といえども、まだまだ社会的な認知を受けているとは言えない側面があり、地位の高い人や経済的に格差が感じられる人の前では、コンプレックスを感じているような様相を見せるのが普通である。
別に、私がお偉いさんとか金持ちと言っているわけではないが、初対面で高級フランスレストランに招待され、目の前には私でも普段食べ慣れない食べ物が並んでいて、日本人でも緊張を強いられる場面において、皆、自分の将来や仕事について意見をはっきり述べ、とても堂々としていた。
おそらくインドネシアで同じ場面に遭遇したなら、上述のような理由で、借りてきた猫のごとく大人しくしていただろうに、やはり、一人の社会人として差別なく受け入れられ、一生懸命仕事をすればするほど報われるということを敏感に感じ取り、そんな社会の違いが、彼ら彼女らに人としての大きな自信を与えているのだろう。
数年前に、国の期待を一身に背負い日本ヘと赴こうとしているころには、こんなことを期待し想像する人は誰もいなかっただろう。当初の目的や期待とは違ったところで、とても大きな成果が上がっているのだ。
インドネシアで暮らしていると、社会の格差がまだまだあるために、人を人と思わぬ態度で挑んだり挑まれたり、そんな最低な現象を見たり、聞いたり、あるいは経験したりする。当の私を含めて、「何が人間皆平等だ」「きれいごとを抜け抜けと言えたもんだ」と思うことや自分を戒めることの連続であるが、今回、日本でインドネシア人看護師と出会ったことによって、そんなインドネシアで日々感じていた嫌な思いが一気に吹き飛ばされ、皆の今後のさらなる成長を祈らずにはいられなかった。
もしも志半ばで帰国を余儀なくされる人がいたならば、看護師という職業を通じ、社会の人々の意識の改革者としてもインドネシアを担っていってほしい。(会社役員・芦田洸)