【育まれた交流 次世代へ 気仙沼とインドネシア】(中) 手弁当で祭り復活支援 ジャカルタで輪広がる
今年4月29日、西ジャワ州チカランで初開催された「桜祭り」。「ソイヤッ」と威勢の良いかけ声で神輿(みこし)を担いで日本の祭りを演出した「ジャカルタ祭りの会」の赤井繁喜さん(50)、佐々木哲也さん(48)、細谷和彦さん(40)らが体を休めていたところに、鈴木敦雄さん(53)が現れ、朴訥とした調子で語り始めた。避難した山から津波が見慣れた街を襲う様子を見つめたこと、翌日からがれきの中で家族を捜し回ったこと、そして10年間続けてきたパレードを再開したいと思っていること。
「同じ東北人だから分かる独特の雰囲気みたいなものがあって、話しているだけで何となくうれしかった」と宮城県石巻市出身で、東北出身者の集い「みちのく会」に所属する佐々木さん。みちのく会で募金活動を展開したが、これで終わりにしていいのかと胸にくすぶるものがあった中での予期しない出会いだった。
「私もインドネシアが好きでここに住んでるから、鈴木さんの取り組みがうれしかった。それに祭りをやることの大変さもやりがいも分かる」
復興を目指す同郷で、インドネシアを紹介する試みに共感した。同じくその場に居合わせた中小企業(SMEJ)連合会会長の白石康信さん(73)を会長に、「気仙沼インドネシアパレード復興支援会」の発足が決まった。
東北出身者を中心に、駐在員や邦人主婦など多様なメンバーが集った支援会。5月の初会合にはスリ・バノワティさん(62)らインドネシア人女性の姿もあった。全員がインドネシア大学の日本語学科で学んだ後、日本へ留学したり日系企業で勤めたりしてきたライオンズクラブ・ジャカルタ・モナス・グリーン支部の幹部メンバーだ。
鈴木さんが支援会に託したのは衣装100着。時間の制約もあり佐々木さんは厳しいと考えていたが、2週間後には「もう60着集まりました」とスリさん。全国のライオンズ・クラブから最終的に150着を集め、「バリ・パレード」から衣替えした「インドネシア・パレード」に各地の民族衣装が花を添えることになった。
「私たちはインドネシア人として感謝しなければいけない。インドネシア文化を気仙沼で紹介してくれたんだから」と話すスリさんはパレードの映像を見て、「子どもも大人も楽しそうに見ていた」とうれしそうに語る。
桜祭りで鈴木さんと出会った一人、松井和久さん(50)は気仙沼まで駆け付けてパレードを見た。「これで実際の生活が良くなるわけではないだろう。でも1年前は祭りができるとは誰も想像しなかっただろう場所に、張りぼて人形のオンデルオンデルが練り歩いた。しかもそれを、気仙沼の人もインドネシアで支援にかかわった人も手弁当で取り組んだ。そういうみんなで夢を実現しようとする試みの積み重ねが、日本とインドネシアをつなげるものになるんじゃないか」と語る。
「日本で1番のパレードが地方都市で開かれた。『お祭りの復活』という見える形につながって非常にうれしかった」と語る佐々木さんらは、パレードの再開へ向けた取り組みの中でできたつながりを次へつなげようと、今度は気仙沼の伝統芸能をインドネシアで紹介しようと、働き掛けている。(関口潤、写真も、つづく)