【火焔樹 】 転ばぬ先の杖
日本では、梅雨の季節や台風の時期になると、天気予報士さんが大変になるという。多くの人が天気予報を注目し、その予報次第では一日のスケジュールや生活そのもののリズムが変わる日本では、予報士さんたちは、神経を尖らせ正確に予測する努力をするのである。
インドネシアの「天気予報(ramalan cuaca)」を見ると、とてもシンプルな内容である。乾期は「明日は晴れでしょう」、雨期は「明日は晴れて、夕方に雨が降るでしょう」。この二つのパターンのみだ。まあ同じ天気予報士さんでもインドネシアでは随分楽な仕事のようである。インドネシアの天気予報の的中率が100パーセントに近いと自慢しているテレビ番組があったが、これを外したら目も当てられない。
ジャカルタの街の道端に軒先を連ねる屋台を観察すると、雨がポツポツと降り出してからみんな雨宿り先を求めて移動するのだが、すぐさま豪雨となるのでずぶ濡れとなってしまう。屋台を引きながら大雨の中を毎回移動するのは大変だなと同情しつつも、いつも降り出してから移動し毎日ずぶ濡れを繰り返すのはどうにかならないか。
インドネシアには「転ばぬ先の杖(sedia payung sebelum hujan)」という素晴らしい諺(ことわざ)があるのに残念だ。
話は変わるが、日本では二大政党の党首選が終わり、新たな政党が国民の期待をあおり、政治の季節へと突入していくのは時間の問題だろう。先を見越して国のより良き未来のために物言う政治家の言葉通り世の中が変わっていれば、国民が不満を抱くことにはならないはずだろうに、いつまで経っても問題山積なのは結局、日本の政治家諸氏は、インドネシアの天気予報士さんたちと同じで、本当に国民の生活のことを考えているかすら疑問に思えてしまう。
毎回の選挙の投票率を見れば、国民も雨が降り出してから毎日ずぶ濡れを繰り返す屋台の人たちとそれほど変わらないと言えるのかもしれない。「スディア・パユン・スブルム・フジャン」(会社役員・芦田洸)