バリ島テロから10年 追悼式典に遺族ら参列 「テロと戦う勇気与えた」

 日本人2人を含む202人の死者を出し、その後のインドネシアの対テロ政策を決定づけた2002年のバリ島爆弾テロから10年となる12日、バリ州ジンバランのガルーダ・ウィスヌ・クンチャナ文化公園で追悼式典が開かれた。国内外からの被害者遺族やマルティ・ナタレガワ外相、国別では最大の死者を出したオーストラリアからギラード首相ら約千人が参列。会場以外でも追悼の催しがあり、参列者は犠牲者をしのぶとともに、テロ撲滅への思いを新たにした。

 ギラード首相は式典のスピーチで「テロリストは、われわれに癒えることのない苦悩を負わせた」としながらも、テロが目的としている価値観の破壊を達成することはできなかったと強調。当時、国家警察幹部として国際合同捜査を指揮し、米タイム誌アジア版の「話題の人」にも選ばれたイ・マデ・マンク・パスティカ州知事は「事件による犠牲は深い悲しみをもたらしただけでなく、テロや全ての原理主義勢力と戦う勇気を与えた」と述べた。当時豪首相だったハワード氏らも式典に出席した。
 同日、豪州国内でもキャンベラの国会議事堂など各地で式典が開かれた。
 01年9月11日の米同時多発テロ以降、外国人を標的にした事件の中では最大の犠牲者を出した爆弾テロ。東南アジアを代表するリゾート地バリ島で起きた事件は、国内観光業に大打撃を与えただけでなく、インドネシア政府にとって対テロ政策の一大転換点になった。
 9・11以降、テロ組織の温床となっていると米国などの指摘を受けながらも「国内にテロリストはいない」との姿勢を崩さなかった当時のメガワティ政権が一転、事件直後にテロ組織の存在を認め、地下組織ジェマ・イスラミア(JI)のメンバーを容疑者に断定。豪州の支援を受けながら国家警察に対テロ特殊部隊を発足させるなど捜査態勢を構築し、掃討作戦を開始した。
 再びバリ島で起きた05年の爆弾テロやジャカルタの米系ホテル同時爆破事件(09年)などを経て、国家警察はこれまでに700人以上をテロ容疑などで摘発。バリ島事件の実行犯とされた全員が射殺されるか有罪判決を受け、3人が死刑執行されている。
 同事件は02年10月12日深夜、繁華街クタ・レギャン通りにあるディスコ前で自動車に積まれた大型爆弾が、近接するパブ内で自爆犯のベストに仕組まれた爆弾がそれぞれほぼ同時に爆発。横浜市から旅行で訪れていた鈴木康介さん(当時34)、由香さん(同33)夫婦のほか、インドネシア人38人を含む202人が死亡し、240人以上が負傷した。

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