「香川モスク」に集う ムスリムの紐帯の強さ 在日インドネシア人が協力
「今年、香川モスクのラマダン(断食月)明けの礼拝には、800人が参加しました。用意していたビリヤニなど800人前、全てなくなりました」。香川県坂出市の無人駅・八十場駅に降り立つと、イスラムの正装に身を包み、晴れやかな笑顔の若者がどっと押し寄せるように駅に向かって歩いてきた。子連れの夫婦もいる。電車に乗り込む様子は、この瞬間だけ、東京のラッシュのようだ。
1時間に数本のJR予讃線のダイヤを読み違え、ラマダン明けのお祈りに間に合わなかった筆者。駅に向かい帰路を急ぐ人に声をかけると、みんな礼儀正しく、わざわざ足を止めて話をしてくれた。皆、笑顔が美しい。
旧国道11号(坂出街道)沿いに、ロードサイド店がぽつん、ぽつんとある中を歩いていると、突如、鮮やかな模様に彩られたモスクが現れる。模様をよくみると桜の模様。3つ並んだドームも印象的だ。2階建ての元中古車店をリノベーションしたもので、内装は改修途中だ。
「香川モスク」が完成したのは、コロナ禍の2021年2月。「金属製のドームは、溶接工の先輩
が実費のみで作ってくれたプレゼント。業者に頼むとめちゃくちゃ高い」と讃岐弁で語るのは、モスク建立グループのリーダー・ズルフィカルさん(42、通称フィカル)だ。職場の人間関係の良さが垣間見える。
西スマトラ州パダン出身のフィカルさんは、船の溶接の仕事をしながら日本に住んで19年以上。日本人女性と結婚し、讃岐の土地に深く根ざしている。
香川県に暮らすインドネシア人は約2000人。その大部分を占めるムスリムのために、モスクを建立しようとフィカルさんらは奔走した。資金集め、物件探し、各種手続き、計画途中のトラブルなどモスク建立までの泥臭いストーリーは、フリーライター・岡内大三さんによる密着ルポ「香川にモスクができるまで 在日ムスリム奮闘記」に詳しい。本を読むと、紆余曲折の末によくぞ完成したものだと感動さえ覚える。
礼拝の時間に間に合わなかった筆者に、インドネシア人女性がペットボトルの「テ・ボトル」と手作りのケーキを振る舞ってくれた。一緒に訪れた息子とありがたくいただいた。
モスク建立メンバーは、香川在住のインドネシア人だが、この日振舞われた料理はパキスタン料理。パキスタン、バングラデシュ、モロッコ、トルコなど他国のムスリムに対するフィカルさんらの配慮が感じられる。イマーム(導師)役は交代で得意な人が担当。モスクでは、日本で生まれた子どもたちへのイスラム教育も行われている。
この日は、京都からわざわざバスで駆けつけた日本人ムスリムもいた。「京都にもモスクはいくつかありますが、この香川モスクの雰囲気が好きで来ています」。香川県の小さな町に、インドネシア人ムスリムが知恵を出し合い、協力し、心を砕いてできた手作りのモスク。多くの人たちをひきつけてやまない。人と人のつながりが希薄になってしまった日本人社会が得られるヒントがあるのではないだろうか。(フリーライター 頼實鮎美)