バティックの仕立ては「芸術」 裁縫師 シャフルディンさん 天皇陛下や歴代大使に
「誰のためのバティックなのか知らされず。ただ、『丁寧に、素晴らしい物を』とだけ伝えられた」と話すのは、バティック裁縫師のシャフルディンさん(64)。この道に入って45年。まさにバティックを仕立てる匠(たくみ)だ。
しかし、その答えはすぐにやって来た。在インドネシア日本大使館の職員から「これはあなたが縫ったバティックよ」と写真が送られてきたという。そこにはボロブドゥール寺院(中部ジャワ州マグラン県)を背に微笑む天皇陛下の姿があった。
「私が仕立てたバティックを陛下が着られるなんて。人生で1番の出来事だ。妻も友人もみな感動のショックを受けていた」。驚きとともに嬉しさが込み上げた約1年前のあの日を振り返る。
南ジャカルタ・テベットで、仕立屋「チカジャン・テーラー2」を切り盛りするシャフルディンさんは、父と2代に渡って駐インドネシア日本大使のバティックを仕立ててきた。その始まりは1967年。大使館職員のバティックを仕立てていたが、その評判を聞きつけた大使のバティックも手がけるようになった。
天皇陛下が着られたバティックについてシャフルディンさんは、「初めに、サイズのメモ書きと布2枚を渡された。1つはボロブドゥール寺院で着用された茄子紺の布。もう1つは白地に茶色の模様が入っていた」と、幻となったバティックの存在を明かした。
店は妻のシティ・マエサロさん(59)と息子の3人で経営。午前7時から深夜1時まで仮眠や休憩を挟みながら作業を続ける。
シャフルディンさんは、服を仕立てる楽しさに「芸術」をあげた。平面の布から立体の衣類へと完成させる際、模様をどう合わせ、襟・袖部分に模様をどう配置するのか。その位置で「服の〝顔〟が変わる」。職人の腕の見せどころだ。
韓国や中国、インドの顧客も抱えるシャフルディンさん。「礼儀正しさや性格、フィーリングが合うのは日本人。日本人はバティックを作ると本当に喜んでくれる」と目を細めた。
19歳のころから続けるバティックテーラー。目指すは「死ぬまで現役」だ。(青山桃花、写真も)