【火焔樹】和食の技と心 故郷のために

 日本生まれの日本育ち。ボゴール出身の父親を持つ旧友、ハーリー青柳さん(54)が念願の日本料理店を開いた。料理人の道を目指した原点は東京・JR目黒駅前の雑居ビルにある立ち食いそばの店。長寿大国・日本の秘密は「幸せな味と香り。それが健康を生む。そばは最強のバランス栄養食」。今もそう信じて止まない。
 ハーリーさんは18歳の時に敬愛する父親を亡くした。急性心不全。「偏ったインドネシア人の食生活を変えたい。料理を通じて人々を健康にしたい」。天に旅立つ父親にそう誓った。
 4人兄弟の長男として、小学生から台所に立った。「朝昼晩。食事作りは僕の仕事」。来る日も来る日も家族全員の食事を作った。「だから料理は大好き。ただ、仕事と家庭料理は別」。目黒駅に近いインドネシア人学校卒業後、修業が始まった。
 「最初はなんでもやった。バーテンもフロア担当も」。そしてフランス料理やイタリア料理。いわゆる「日本の洋食」の世界にどっぷり浸かり、そして和食の世界へ。「仕出し割烹料理の勉強を通じ、日本の味に夢中になった。予算は1人最高5万円。本物の味を知る日本人と向き合う真剣勝負だった」。
 理不尽な目にも遭った。日本社会の裏側も見た。それでも「健康な食を故郷に」。父親への誓いは忘れなかった。
 修行を重ね、満を持してインドネシアに帰国したのは5年前。しかし、パートナーを見誤って散財。食材集めで詐欺にも遭った。そこに追い打ちをかけたのが新型コロナの猛威。飲食業は風前の灯火となり、「資金は底をつき、食事は週に1回か2回。やせ細った」。
 失意の日々が続く中、〝救世主〟が登場する。夜道で出会った野良ねこだった。家に連れ帰り、貧しい食事を猫と分け合って暮らした。
 ある日、猫が礼拝用の絨毯から離れようとしない事に気付いた。礼拝の時間になると猫は絨毯に寝そべり、「祈ろうと誘った」。失うものは何もない。追い詰められた青柳さんは猫と神に祈った。
 なぜか、転機はすぐに訪れた。「腕を借りたい。ブロックMで和食をやろう」。インドネシアの投資家たちからの誘いだった。場所は日本人にも人気のカフェなどが並ぶパンリマ・ポリム通り。和食の輪を広げる勝負の時が来た。そう直感した青柳さんは、店名を「ATSUMARU(集まる)」とした。
 メニューの中心は「昭和感のある懐かしい和食と日本の『西洋料理』」。お洒落な雰囲気の中で食事を楽しんでほしいと9月1日、日本酒も選りすぐりをそろえて開店した。
 あれから1カ月あまりが過ぎ、客層は日本人からインドネシアの中間層に広がるが、青柳さんの表情は厳しいままだった。
 「日本の食文化に惚れたのは健康の源だから。これをインドネシアに広め、偏りがちな食生活に一石を投じたい。それが亡き父への誓いだった」
 この原点に立ち返れば、次に目指すべきは庶民生活の改善。どん底の生活を経験した青柳さんは「貧しい人々の暮らしを変えたい。歯を食いしばってがんばる意義を伝えたい。日本で得た教育がどれだけ私の人生に役立ったか。それを伝えたい」。
 目標10店舗。来年中にカンプン(集落)で美味しい日本の味を出す店を立ち上げる。青柳さんの挑戦は始まったばかりだ。
(長谷川周人、写真も)

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