【火焔樹】 共感能力とは‥
共感は賛同や同意、そして理解とは違う。嫌なことは嫌でいい。賛同しちゃダメなことだっていっぱいあるし。
だけど例えば、嫌な相手であっても、自分がまったく同じ遺伝子を持ち、まったく同じ時間と環境で育てば、その相手とまったく同じ態度、考え方になる。それを踏まえ、相手にとってはそうせざるを得ない、あるいは自分の中にも少しでも似たり寄ったりのことがないかと内面を見つめてみる。
そうすれば私はたいてい、人のことは言えない自分がいることを発見する。いや、発見せざるを得ない。
だけど、それはイコール相手の言いなりになることではない。自分の中に相手と共通する質を見出して自己の成長の課題としたり、同意したり、関係を続けたりしなくとも相手を尊重しよう、ということにつながっていくのだと思う。
私は少なくともインドネシアを尊重し、日本を尊重してきたつもりだ。双方に、賛同も同意も理解すらもできなかったことが多かったが‥。でも、一生を掛けて人生をともにしようとすれば、ダメなものはダメだし嫌なことは拒絶しなかったら自分が壊れる。
相手の中に自分との共通点を見出してちょっとでも相手の気持ちを分かる、あるいは理解できなくても尊重はできるということが共感能力の大意じゃないだろうか。相手の気持ちが分からなければ相手の深い所に訴えて共感してもらうなんてできない。
「あっ、それわかる。うんうん、そうだよね」って言えたり言ってもらえて、一方的じゃなく会話がキャッチボールになった時に、人は親近感や安心感や心地よさが湧いて来るものだろうとも思う。
インドネシアにやってきた日本人、日本でホームステイするインドネシア人、アラブに住んでいるキリスト教徒。初対面の人と議論するとき、隣町に引っ越したとき、いつでも、どこでも、誰にでも起こりえる異なった環境や物の考え方との遭遇に共感できる力を備えて生きていくことが平和な世界を作るキーポイントかな、と最近とみに思う。
世界なんて大げさだから、まずは、自分と身の周りを見つめ直そう。(会社役員・芦田洸)