スマラン事件の地、視察  日本大使として戦後初 「鎮魂の碑」に献花

 1945年10月に起きたスマラン事件で殺害された邦人約200人を慰霊する「鎮魂の碑」——。その存続が危ぶまれる中、金杉憲治在インドネシア日本大使が21日朝、スマラン市北部にある碑に献花した。大使は「事件を乗り越え、今の友好関係がある」として献花後、地元州・市政府に協力強化を求めた。日本大使の現地入りは戦後初になるという。

 中部ジャワ州を訪れている金杉大使はこの日、殺害された日本人が葬られたバンジルカナル川河口の干潟にある鎮魂の碑を訪問。前日からの雨で路面がぬかるみ、途中から車移動を断念して徒歩で現地入りした。
 金杉大使は碑に刻まれた犠牲者の所属や名前を確認しながら、独立戦争に向かう混乱期に日イ双方の意思疎通の欠如が凄惨な事件につながったことを振り返り、「話し合うことの大切さを痛感する」と指摘した。
 また、碑は2度にわたって移転を強いられ、周辺環境も万全とは言えない。こうした現状を踏まえて金杉大使は、同州のガンジャル・プラノウォ知事、続くスマラン市のハベアリタ・グナリヤンティ副市長への表敬訪問で、日本との友好協力関係の一層の強化を確認した。
 献花式には、年明けにスマラン日本人会の会長に就任するクボタ・インドネシアの村田豊一社長も同行。「例えば地元の小学生が歴史を学ぶ場にならないか。そのためにも碑の存続は大切だ。大使館と連携して努力を重ねたい」と話した。
 一方、残留日本兵の子孫による組織「福祉友の会」のヘル・サントソ衛藤会長は献花後、「当時の思いを三世、四世に伝承する事が重要。友の会としても今後、スマラン側と人的ネットワークの拡大、強化を図りたい」と碑の存続に尽力する考えを示した。
 日本の敗戦直後に起きたスマラン事件では、武器の引き渡しなどをめぐって独立急進派と日本軍が武力衝突。市内のブルー刑務所に監禁された民間人ら邦人が房内で機銃掃射を浴び、無念の死を遂げた。
 現場に急行した憲兵隊員だった故青木正文さんは、房内の壁に「インドネシアの独立を祈る 万才」という血塗りの文字があったと、書き残している。 (スマラン=長谷川周人、写真も)

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