建設管理に携わり30年 ジャカルタ漁港、全事業終了 折下定夫さん 国内最大の漁業基地

 1日約4万人が出入りするインドネシア最大のジャカルタ漁港(北ジャカルタのムアラ・バル)で今年7月、日本の円借款を受け、1980年から4期に分けて実施された工事と2004年から始まった「ジャカルタ漁港リハビリ事業」が終了した。今月3日には海洋水産相や大使館関係者を招き、完成式典を開催。マングローブが生えた遊歩道には週末、家族連れが訪れ、市民の憩いの場になっている。1978年から漁港の建設・管理に携わり、漁港内の寮に住み続けてきた建設コンサルタント会社「オリエンタルコンサルタンツ」の折下定夫漁港プロジェクトマネジャーに話を聞いた。(高橋佳久、写真も)

■世界有数の生産量
 「まさかこれだけの年月のプロジェクトに関わることになるとは誰も想像していなかったと思う」。78年、パシフィックコンサルタンツに所属していた当時30歳の折下さんは「ODA(政府開発援助)の経験はほとんどなかった」6人のコンサルタントチームでジャカルタ漁港の建設事業に着手した。
 インドネシアは米国、豪州に次ぐ世界第3位の排他的経済水域(EEZ)を持っているにもかかわらず、整備された漁港がなく、十分な海洋資源を生かしきれていなかった。そういった理由もあり、ジャワ海の漁業基地となるよう、ジャカルタ漁港建設が計画されたという。
 現在は、年間2万トンの水産物を加工輸出し、毎日1億円以上の外貨を獲得する漁港に発展。2009年には約982万トンの漁業生産量で世界第3位となっている。

■マングローブ護岸
 ジャカルタ漁港の目玉の一つとして定着し、現在も整備が進められているのが折下さんが発案したマングローブを生かした護岸整備だ。
 「『ローカリティ』に着目し、お金をかけずにインドネシアの温暖な気候を生かす」ことを漁港整備のモットーとしている折下さん。「01年に、最初は石で造られていた護岸の隙間にマングローブの種が偶然流れついた。すると、あれよあれよという間に成長して、これは護岸に最適だと思った」と振り返る。マングローブは潮風を防ぎ、昼過ぎには木陰をつくる。そのためマングローブの護岸沿いに整備された遊歩道と合わせ、漁港利用者の憩いの場として親しまれている。
 また潮位の変化を利用した「港内海水浄化システム」も折下さんが考案した。通常の漁港の海水浄化はボートでゴミを簡単に取るだけで、このようにシステム化されている例はないという。
 3日に開かれたリハビリ事業の完成式典では、海水浄化システムの改良版などが紹介され、インドネシアからはシャリフ・チチップ・スタルジョ海洋水産相、日本側からは在インドネシア日本大使館の島田順二公使、国際協力機構(JICA)インドネシア事務所の小原基文所長らが出席した。

■ジャカルタの築地に
 2003年ごろから、ジャカルタ漁港はジャカルタ日本人学校(JJS)の子どもたちが社会科見学に訪れたり、日本などから視察に来る関係者も多くなった。
 折下さんは友人らに自身の住居の食堂を「料亭おりしも」と名付け開放している。料亭内の壁には訪れた人々の写真が所狭しと並べられている。「もっと多くの人に漁港を利用してもらいたい」と折下さん。今後はマグロの水揚げの現場も紹介し、さらに親しまれる漁港を目指す。
 プロジェクトが終了した現在でも漁港の整備に関わっている折下さんは「個人的にはやり残していることがある」と語り、「地盤沈下の問題も完全には解決できていない」と心配が尽きない。「ただ今後はインドネシアの人たちだけで資金を調達し、国際的な衛生基準に合う漁港を目指して維持管理をする必要がある。日本の『築地』のような漁港になったらうれしい」と今後の発展に期待を込めた。

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