【火焔樹】 音楽から見る両国
一九七七年、伝説のロックバンド、ディープ・パープルがスナヤンの競技場でコンサートを行った。エレキギターを嗜む人なら誰もがヒット曲「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のイントロを弾いたことがあるだろう。当時からインドネシアの一部ではロック熱が高く、海外の有名バンドの新曲情報はインドネシアの方が早かったくらいだ。
当時、日本の歌は、戦争を経験した年配の人が日本の軍歌を時々口ずさんでいる程度で、インドネシアではまだ馴染みが薄かったこともあり、最近行われた日本のロックバンド、ラルク・アン・シエルの八千人のファンの前での公演には時代の流れを感じた。
当時のライブハウスでは、インドネシア人のバンドがピンクフロイドの一連のナンバーをコピーしたり、オリジナルの曲を披露していた。その歌や演奏は見事で、十代の私には刺激的だった。インドネシアの人はきちんと音楽を学んでいることが少なく、楽譜も読めない人が多いが、彼らの野生的な音楽センスには目を見張らされた。
ヨーロッパで権威のあるピアノやバイオリンなどのクラシック音楽コンクールの審査員が「日本人はみな同じ演奏をする」と言っていた。確かに、決められたことを寸分の狂いもなく実行する日本人の行動特性を思い起こした場合、納得するコメントである。
そして、インドネシア人が音楽を直感で捉え、自分のスタイルにしてしまう力がとても秀でているのはなぜかと考えたとき、感性だけを頼りに「すべてにおいて『出たとこ勝負』の生活スタイル」に答えのヒントがあるように思える。クラシックとロックを比較すること自体無理があるかもしれないが、音楽を一繰りにして考えてみた場合、こんなところにも両者の特性を垣間見ることができる。
最後に、最近のインドネシアのヒット曲を皆さんに紹介しよう。熱狂的なファンを抱えるロックバンド「Dewa(デワ)」を脱退した「Once Mekel(オンチェ・メケル)」が、ソロになって初めて出した曲「Matilah Kau(お前なんか死んじまえ)」。切ないメロディーが心に染みる一曲です。(会社役員・芦田洸)