韓国語日刊紙が創刊 「ジャカルタ経済日報」 両国関係の発展後押し 首都圏で個別配達

 インドネシアの経済や産業、文化などのニュースを韓国語で報じる日刊紙「ジャカルタ経済日報(ジャカルタ・ビズ・デイリー)」が十四日、創刊した。鉄鋼大手ポスコや小売大手ロッテなど大企業が相次いで進出を果たし、国内における韓国の存在感が急速に高まっている中、主な読者として韓国人の企業家を想定し、国内のインフラ開発や資源、投資、企業など、韓国企業の経済活動に欠かせない重要ニュースを厳選。正確な記事を母国語でいち早く届けることを理念に、韓国企業の一層の発展を後押ししようと、創刊にこぎ着けた。

 インドネシアの在留韓国人は五万人近くに上っており、インドネシア国内で最大の外国人コミュニティーを形成している。韓国語のメディアとしては、週刊紙や雑誌などのほかラジオやウェブサイトもあるが、日刊新聞はなかった。
 新聞は八面構成で購読料は一カ月二十七万ルピア(配達無料)。土日と国民の祝日を除いて毎日発行し、企業やレストラン、住宅などに個別配達する。当初の配達エリアはジャボデタベック(首都圏)内に限定。午前零時までに印刷工場にデータを送信し、同六時までに配達する。
 将来的には韓国企業が多数進出している西ジャワ州バンドンやスカブミ、東ジャワ州スラバヤにも拡販する。現在、インドネシア全体で約千四百社の韓国企業が進出しており、契約部数の目標は発行から一年で一千部に設定した。
 大手経済紙ビスニス・インドネシアや国営アンタラ通信、韓国の全国紙・中央日報、じゃかるた新聞から記事配信を受け、企業家に関心が高いインドネシアの経済ニュースを中心に掲載。株価や為替の動向、物価情報や労働統計などもグラフ付きで詳報するなど工夫し、企業活動や経営に役に立つ情報を集約した。
 編集長には、大手紙韓国日報で記者として二十五年間勤務し、韓国言論財団の顧問を務めていた李基昶(リー・キチャン)氏(五六)が就任。金泳三大統領による韓国初の文民政権を取材したほか、二〇〇二年の日韓W杯では統括部長を務めた。
 李編集長は「客観性を重視しながら正確な事実を報じることを基本に、両国の関係をより密にしていけるような報道を心掛けたい」と話した。
 創刊号となる十四日の一面では、国内の加工産業発展に重点を移しているインドネシア政府の動向について報道。鉱物の輸出関税や違法輸入の撲滅に向けた規制強化など、母国産業の育成に動き始めたユドヨノ政権の政策を分析した。
 創刊号には、キム・ヨンスン駐インドネシア韓国大使のほか在インドネシア韓国人会会長、駐韓国インドネシア大使などが祝辞を寄せた。

◇感謝と尊敬 胸に 創設者の黄允洪さん

 「インドネシアに来て、仕事をして、稼いで‥。韓国人はインドネシアへの感謝の気持ちを忘れてはいけない」と創設者の一人で、ジャカルタ経済日報の顧問を務める黄允洪(ハン・ユンホン)さん(五六)は語る。
 十三年前に来イし、銀行や証券会社に勤務。「インドネシアにおける韓国の歴史は浅く、現地とのつながりはまだ薄いと何度も感じた」と黄さん。「在留韓国人にもっとインドネシアの文化や生活習慣も知ってもらい、尊敬の心が育ってくれたら」と話す。
 一九八八年。韓国ソウルで植民地を経験した国として初めてオリンピックが開催され、韓国経済が世界へ打って出る契機となった。インドネシアに韓国が本格進出し始めてから、まだわずか二十数年。「CSR(企業の社会的責任)活動もまだ活発ではない」と指摘する。仕事で日本に駐在経験があり、日本語も堪能。ジャカルタで日系企業の活動も見てきた。
 掲載する記事は経済分野にとどめない。
 「(ジャカルタの)ガトット・スブロト通りは、なぜそう呼ばれているのか」「都市の名前が持つ由来とは」。身近なことから歴史を紐解き、インドネシアへの理解が深まる紙面作りを目指す。インドネシアの経営者や著名人、知識人への単独インタビューは目玉企画の一つだ。
 社名に「INKO」という単語が並ぶ。「インドネシア・コリア」の略で「我々の新聞は、まずインドネシアが先なのです」と理由を明かす。「アク・チンタ・インドネシア(インドネシアを愛している)」と記したロゴも、毎日紙面に掲載する方針だ。

社会 の最新記事

関連記事

本日の紙面

JJC

人気連載

天皇皇后両陛下インドネシアご訪問NEW

ぶらり  インドネシアNEW

有料版PDFNEW

「探訪」

トップ インタビュー

モナスにそよぐ風

今日は心の日曜日

インドネシア人記者の目

HALO-HALOフィリピン

別刷り特集

忘れ得ぬ人々

スナン・スナン

お知らせ

JJC理事会

修郎先生の事件簿

これで納得税務相談

不思議インドネシア

おすすめ観光情報

為替経済Weekly