火事の後のゴトンロヨン みんなで助け合い復興を 中央ジャカルタ・スネン

 黒くすすけた窓枠や、ぼろぼろになった階段にひもが取り付けられ、洗濯物が干されている。足下はがれきの山。中央ジャカルタ・スネンのクナリにあるカンプン(村落)で先月二十五日、民家約五十戸が全焼する火事が発生した。燃えさかる炎の被害を受け、家を失った住民は、地域の小学校やモスクを仮宿として、生活を続けている。被災後の生活の再建は簡単ではない。それでもインドネシアの庶民はたくましく、互いを支え合いながら復興を目指している。(高橋佳久、写真も)

 「引っ越すつもりなんてないよ。子どものころから住み、生活した地域が好きだからさ」。火事で住まいを失ったネアンさん(五七)は、火事現場の向かいにあり、仮宿として使われている小学校の門の前に腰掛け、同じく、家を失った住民たちと話していた。「家はなくなったけど、周りからご飯を作りに来てくれたり、みんなで助け合って生活しているから苦しくはないよ」とネアンさん。支給された食事を笑顔でほおばっていた。
 インドネシアでは数十戸が焼けるなど、規模の大きい災害には町内会(RW)や隣組(RT)が、州政府などの支援を受けポスコ(詰め所)を設置する。ポスコでは町内会長や隣組長などが、インドネシア赤十字や州政府に提供された食事を住民に支給するほか、州政府から医者が派遣され、清潔な飲料水なども届けられる。その中でもポスコの最も重要な役割は市民や企業、政党からの寄付金の管理だ。
 火事から一週間後の二日、ポスコの前に立てかけられたホワイトボードには寄付をした人の名前と金額がびっしりと書き込まれていた。全部で六十三件。火事のあった町内会長のアンディ・イラワンさん(四四)は「火事の後にはすぐにいろんなところから募金が寄せられた。人づてに火事のことが伝わって、みんな助けてくれるんだ。インドネシアの人々はゴトンロヨン(相互扶助)があり、困ったときはお互いを助け合う気持ちを持っているからね」と語る。
 募金の目標額は二億ルピア。「すでに一億五千七百万ルピア集まった。早く資金を集めて、みんなの生活を元に戻したい」と意気込んだ。寄付金は水道や電気といったインフラ整備に使われた後に、住宅の再建に充てられる予定だという。
 町内副会長のアジャンベさんは「お金は市民に均等に配分されたあとは個人で家具を買ったり、自分で家を再建するんだ。いつ元に戻れるかは予想できないけど、みんなで力を合わせれば、何とかなるよ」と話した。
 ポスコの横に仮宿として指定されているモスクに行くと、そこには火事で焼け出された人以外の住人もいた。隣の町内会に住むラムリさん(六〇)はほぼ毎日、ポスコを訪れているという。「被害を受けていない人も一緒に時間を過ごすことで、悲しみを分け合うことができるんだ」と説明してくれた。
 火事の被害を受けたカンプンでは、火災保険や十分な貯金がない人が多く、すぐにこれまでの日常に戻るのは容易ではない。しかし、インドネシアの人々はゆっくりとみんなで助け合いながら復興を目指していた。
 ただ、食料や医療といった州政府からの援助は十二日間で終了してしまうという。アンディさんは「次に支援してくれる会社などを探さないといけない。生活が元に戻る見通しはまだ立たないが、みんなで助け合ってがんばるさ」と語った。

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