タケノコ診療所が定期診療 写真家、ごみ山生活を記録 西ジャワ州バンタルグバン
タケノコ診療所グループは1日、西ジャワ州ブカシ市バンタルグバンのごみ処理場近くにあるイスラム系小学校の児童たちを診療した。2006年から続く定期活動で、今回初めて、写真家が診療風景や生徒の生活を記録。発展するインドネシアの「影」となってきたバンタルグバン。衛生環境が劣悪なごみ山で暮らし、働く人々の存在を広く知ってもらうのが狙い。 (上松亮介、写真も)
「痛いところある?」―。医師3人が「アル・イスティコマ」小学校の児童一人一人を診察。児童154人のうち約20人が、ごみ処理場近くで暮らす。深刻な病気は見つからなかったが、膿など感染による手足の皮膚病にかかっている子がいた。ウィナタン・ヘンディー医師(28)は「手を洗わないなど衛生意識が低い。病気が『当たり前』になっている」と話す。薬剤師は抗炎症剤や抗生剤、抗ヒスタミン剤、ビタミン剤を配布した。
また同日、タケノコ診療所の医療アドバイザー、汐崎信子さん(33)の夫で写真家のリコ・ナタリオさん(32)らが、アル・イスティコマに通うシティ・ソレハさん(12)の生活を写真や動画で記録した。撮影を終えたリコさんは「ジャカルタの端で暮らす彼らの生活に、人々の関心が集まるような機会になれば」と話した。
2001年からアル・イスティコマの子どもたちを見てきた山田晴男院長(61)は「ごみ山で生きる彼らはどう生きていくのか。どこから来たのか。分からないことだらけ。発展するインドネシアの『影』であり続けるのか。自分は医師として関わっていきたい」と話した。
■父手伝う誇り
小学校から約10キロのバンタルグバン郡スムル・バトゥ村。ナイロン袋や板を継ぎはぎした小屋に、シティさんは暮らす。向かいの自動車1台が通る車道をまたげば、ごみ山がそびえる。飛び交うはえが、汗をかいた腕に止まってくる。
「お父さんがかわいそう」。母、ナミさん(35)は当時7歳だったシティさんの言葉を覚えている。毎日午前3時まで、ごみ山でごみを探して働く父、タミンさん(40)。荷車には、ペットボトルをはじめ、壊れた玩具などあらゆるごみが100キロほど積まれている。
午後6時からは、ごみ山で父と一緒にごみを探す。「(正午に)学校が終わってから昼寝はできる」。ナミさんは言うが、まだ小学6年。勉強もしなければならないし、友人とも遊びたいはず。だが、シティさんは「お父さんを手伝いたい」と話す。父を手伝う娘の誇りが、そこにあった。